源頼義の邸内に勧請、8月に日本最大級の陶器市、尊氏奉納の蓬莱石
[住所]京都府京都市東山区五条橋東5-480
[電話]075-561-1261

若宮八幡宮社(わかみやはちまんぐうしゃ)は、京都府京都市東山区五条橋東にある神社。近代社格では郷社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

平安時代の天喜元年(1053年)、後冷泉天皇の勅願により、源頼義の六条西洞院の邸内に勧請されたという。

左女牛八幡宮とも、六条左女牛若宮や六条八幡宮とも。御祭神は、応神天皇仲哀天皇神功皇后を八幡三神とする。

保安4年(1123年)、源為義が当社を自領だった山田庄に勧請した。現在、六条判官だった為義にちなんで、六条八幡宮と呼ばれ、神戸市北区山田町に鎮座する。

毎年8月に放生会を行う例とされ、保延6年(1140年)正月、石清水八幡宮が火災によって社殿焼失に遭った際には、当宮に遷座したと伝わり、神威を高めた。

もともと頼義ゆかりであり、源氏の崇敬社で、源頼朝は大江広元の弟の季厳阿闍梨を別当職に任じ、鎌倉時代の文治元年(1186年)12月、土佐国吾川郡の地を寄進した。

頼朝が建久元年(1190年)と建久6年(1196年)の上洛の際には、石清水八幡宮と当社のみ社参を行い、以後鎌倉時代を通して将軍家代々の社参が恒例とされたという。

室町時代になり、足利尊氏は7種の神宝や社領知行安堵状、足利義政は51ヶ所の地所を奉納、足利将軍家から三条坊門の御所八幡宮社と並んで代々の社参が行われた。

社域やその規模は京中において、祇園北野に次いだが、応仁の乱(1467年-1477年)の兵火により焼失、足利義輝・足利義昭の発起で再建されたが、衰微は免れなかった。

織田信長、大内義隆、毛利三家、細川、三好、朝倉氏などより神地、神馬、太刀などが奉納されたともいう。

安土桃山時代の天正12年(1584年)、羽柴秀吉による京都改造により、御旅所のあった東山に移され、旧地は本願寺の寺域とされた。

天正16年(1588年)には方広寺の北に、秀吉薨後の慶長2年(1597年)6月には現社地に遷座した。

江戸時代になり、元和元年(1615年)、徳川家康は神領73石8斗余を寄進、元和3年(1617年)には後水尾天皇の勅命で社殿が造営された。

江戸時代前期の承応3年(1654年)、後光明天皇が父である後水尾上皇の考えを継ぎ、社殿を造営した。これが現在の本殿である。市の文化財に指定されている。

明治10年(1877年)、宮内省によって伏見街道十六町(現 東山区本町16丁目)の円丘上にあった塚本社から仲恭天皇の御神霊が奉遷された。

また、明治24年(1891年)には陶祖神として椎根津彦大神を合祀した。現在は左相殿が仲恭天皇、右相殿が椎根津彦大神である。

戦後は神社本教に参加し、当宮にはその本部が置かれている。

例祭は8月8日で仲哀天皇・神功皇后・応神天皇祭。8月7日には仲恭天皇・孝明天皇祭が行われ、8月9日は陶器神社大祭で、陶器まつり。

この陶器まつりは、全国から40万人を超えるともいわれる陶器ファンが集まる、日本最大級の陶器市でもある。

南北朝時代から明治にかけての資料である若宮八幡宮社関係資料108点が市の文化財に指定されている。「足利将軍参詣絵巻」は将軍の社参の絵画資料として貴重。

境内には、安房天満宮(菅原道真公)・秋葉神社(火乃焼速尾命)・稲荷神社(宇賀御魂命)・竹生島神社(市杵島姫命)・産霊神社(高皇産霊大神)・蛭子社(蛭子之神)・鍾馗神社(鍾馗)がある。

境内には、縁結びの御神木やハートの形をした御神石があり、美貌に関する札やお守りなどの授与品があることから、美の神としても崇敬されている。

また、境内には、足利尊氏が病に侵された際、奉納した蓬莱石がある。奉納した途端、病気が平癒したといういわれがある。

【ご利益】
厄災除け、縁結び・安産、美顔・美容、病気平癒
若宮八幡宮社 京都府京都市東山区五条橋東
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