空海が創建、足利義満が再建、「花の天井」は春秋二季の特別拝観
[住所]京都府京都市右京区梅ケ畑宮ノ口町23
[電話]075-871-2084

平岡八幡宮(ひらおかはちまんぐう)は、京都府京都市右京区梅ケ畑宮ノ口町にある神社。近代社格では村社。梅ヶ畑八幡宮(うめがはたはちまんぐう)とも。梅ヶ畑一帯の産土神である。参拝すれば、御朱印を頂ける。

平安時代の大同4年(809年)、神護寺の鎮守として弘法大師空海が宇佐八幡宮を勧請したのが起源。御神体は、空海自ら描いた僧形八幡神像とも。

主祭神は応神天皇石清水八幡宮の創建が貞観2年(860年)で、当宮はそれに先行する、山城国最古の八幡宮、とされる。

ただし、左京区上高野の三宅八幡宮は、社伝によれば、これらよりもはるかに遡る、飛鳥時代の勧請・創建であるとしている。三宅八幡宮はしかし、当初は小祠、あるいは境内社だったとも。

当宮は室町時代の応永14年(1407年)に焼失、その後は室町3代将軍足利義満が社殿を再建した。高雄へ紅葉狩りに訪れた際、荒れ果てた当宮に心を痛めたためとされる。

現在の本殿は江戸時代後期の文政9年(1826年)に造営されたもので、大工は上嵯峨の宗兵衛と室町の中川常右衛門藤原忠寛。

この本殿は市内に現存する数少ない切妻造本殿の一つで、市の有形文化財に指定されている。

本殿天井には極彩色の花卉図が44面描かれており「花の天井」と呼ばれ、更に内法長押には熨斗に包まれた梅や椿が描かれるなど装飾性の強い空間になっている。

作者は江戸時代後期の画工・綾戸鐘次郎藤原之信。ただし、少なくともそのデザインは、義満の再建時から伝わるものではないか、との説がある。

「花の御所」との名称の類似性、牡丹や鳳凰など義満が天皇になること目指した際の象徴となるような絵柄が取り入れられている、などによる。

義満は当宮再建後の半年ほどで死去。暗殺説もある。

この「花の天井」は、毎年春・秋の2季公開される。要入場料。梅と結び昆布の入った大福茶(おおぶくちゃ)の接待もある。

例祭は10月上旬の日曜日。「三役相撲」がある。地元の子供と大人が取り組み、神の加護を受けた子供が勝つという古くから伝わる神事。1月15日に左義長祭がある。

境内社に、若宮社・地主社・武内社・貴布弥社がある。また、源為朝が矢で射抜いたといわれる為朝の試し石や、鈴鹿野風呂の句碑がある。

境内は、義満も観賞したという、高雄紅葉の参道と椿が有名である。

【ご利益】
厄災除け、身体壮健、事業成功
平岡八幡宮 京都府京都市右京区梅ケ畑宮ノ口町
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平岡八幡宮 京都府京都市右京区梅ケ畑宮ノ口町の御朱印