綱吉の母・桂昌院の守り神である弁天社、江戸後期の高潮の記憶
[住所]東京都江東区木場6-13-13
[電話]03-3644-1092

洲﨑神社(すさきじんじゃ、洲崎神社)は、東京都江東区木場にある神社。近代社格では村社。木場洲﨑神社とも。参拝すれば、御朱印を頂ける。

もとは弁天社と称し、厳島神社の御分霊を御祭神市杵島比売命として斎祀している。御神体は弘法大師空海の作と伝わる。

創立は江戸時代、5代将軍徳川綱吉の生母桂昌院の守り神として崇敬され、元禄13年(1700年)、江戸城中紅葉山よりこの地に遷して、宮居を建立したという。

その際は、南都や醍醐寺で学び、綱吉や桂昌院の信任を得た新義真言宗の僧侶である護持院隆光が尽力したという。

隆光は綱吉に生類憐れみの令を進言したともされ、後には熱田神宮・室生寺・根来寺など全国の寺社の復興に努めたとされる。

代々徳川家の守護神として尊崇され、当時は海岸で、文人墨客が杖を引くという絶佳な景勝地として知られ、浮弁天の名の通り、海中の島に祀られていた。

特に弥生(旧暦3月)の潮時には城下の貴賎が袖を連ねて真砂の蛤を採り、楼船を浮べて妓婦の絃歌に興を催す、と表現された。

洲崎弁天社とも呼ばれ、江戸六弁天の一つ。

江戸時代後期の寛政3年(1791年)9月、高潮によって深川洲崎一帯に多く死者・行方不明者が出た。

これを重視した幕府は、当社から西方の東西285間・南北30間の約5467坪を買収して居住を禁止した。

この空き地の両端に「波除碑」を建てたが、そのうちの一つが当社境内に現存する。都指定有形文化財。

もう一つは、当社から西へ500メートルほどの所にある江東区牡丹3丁目33番地の平久橋のたもとにある。

明治になり現社号に改称、明治5年(1872年)、村社に列した。大正12年(1923年)の関東大震災、太平洋戦争での戦災により、社殿は消失。御神体は難を逃れた。

戦後しばらく仮社殿で奉斎されたが、昭和43年(1968年)、現在の社殿が造営された。

例祭は8月3日。近隣の富岡八幡宮深川祭と同じように、3年に一度、神輿渡御があり、ホースによる豪快な水かけもある。また、11月酉の日には酉の市が開催される。

境内社に、弁天社・豊川稲荷神社・於六稲荷神社がある。弁天社はもともと池の島に鎮座したが、現在はその池は埋め立てられ、駐車場になっている。

【ご利益】
水難除け、海上安全、子宝・安産、交通安全
洲﨑神社(洲崎神社) 東京都江東区木場
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