吉祥寺の境内、佐屋街道沿いの「八竜権現」、一向一揆ですべて焼失
[住所]愛知県津島市神守町字上町36
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憶感神社(おかんじんじゃ)は、愛知県津島市神守町上町にある神社。『延喜式神名帳』にある「憶感神社(尾張国・海部郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では郷社。御朱印の有無は不明。

創建年代は不詳。戦国時代の長島の一向一揆のため、当社の古文書、棟札、宝物などすべて焼失し、由緒は不詳。

御祭神も、「お神」としか伝わらない。勘案すると、龗神で、高靇神か。つまり水神。祈雨、雨乞いの神か。

公文書によれば、『日本三代実録』に仁寿3年(853年)6月8日、官社に列し、貞観7年(865年)11月17日、従五位上に叙された。

鎌倉時代の文治2年(1186年)、従二位に進んだ。現在は真言宗の憶感山吉祥寺の境内にあり、同寺は当社の別当だったという。

もとは現在地より北方約200メートルほど、深田の中に「八龍お亀宮」という宮地があった。洪水によって、江戸時代前期の正保4年(1647年)、現在地に遷座した。

江戸時代には「八竜権現」と称され、吉祥寺の僧が社務に従事したという。

通常、東海道を東から西に向かう場合、熱田神宮のある宿場町から船で伊勢湾を横断して桑名に向かった。いわゆる「七里の渡し」。

しかし、船旅が怖い、あるいは天候不順で渡れない場合に備えて、佐屋街道という脇道が整備されていた。この佐屋街道沿いに当社はあり、往時は参拝客で賑わったという。

明治元年(1868年)9月26日、明治天皇の東幸の際、勅使が参向した。明治5年(1868年)5月、郷社に列し、明治42年(1909年)9月1日、神饌幣帛料供進社に指定された。

本殿は八幡造で銅板葺。朱色の目立つ塗装が印象的。拝殿も特徴的なデザインをしている。透垣は真新しく、やはり朱色のラインが入っている。

例祭は9月16日。境内社に神白社がある。

なお、式内社「憶感神社」の論社は他に、愛西市南河田町の神明社に合祀の旧八龍鎮座の村社亀宮がある。

【ご利益】
天候、祈雨、五穀豊穣、旅行・交通安全
憶感神社 愛知県津島市神守町上町
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