奈良朝に周防を勧請した高安大明神、鎌倉期の制札、クスノキの巨木
[住所]大阪府八尾市大字神立443(八尾市神立5-5-93)
[電話]072-941-0944

玉祖神社(たまおやじんじゃ)は、大阪府八尾市神立にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

延喜式』巻9・10神名帳 畿内神 河内国 高安郡「玉祖神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では郷社。

八尾市東部・高安地区、恩智地区を除く旧高安郡13ヶ村の氏神である。高安大明神とも。

生駒を越えて奈良平群へ降りる峠道、十三峠への登り口の南に鎮座する。当社の少し北側を大阪市の玉造を起点とする十三街道が通り、かつては交通の要所だった。

奈良時代の和銅3年(710年)、周防国の玉祖神社から御分霊を勧請したもので、その際、住吉津から上陸し、恩智神社に泊まった後、現在地に祀られたとされている。

天明玉命(櫛明玉命)を御祭神とする。平安時代の歌人である在原業平が使用していたとされる笛が今に伝わっている。

鎌倉時代の文治元年(1185年)12月、北条時政が当社神宮寺の薗光寺に出した制札が現存する。この制札は、日本最古の禁制として有名。国の重要文化財に指定されている。

天正2年(1574年)9月18日、火災で社殿・仏閣ともに炎上した。

社務所前に慶長の石灯籠がある。慶長8年(1603年)に徳川家康の命によって、社殿が再建された時、豊臣秀頼が寄進したものと伝えられる。

現在の社殿は、江戸時代中期の享保10年(1725年)の再建。

薗光寺竹之坊は参道の石段下の脇にあったが、明治維新後の神仏分離により廃寺となった。かつて御神体とされていた木造の男女神坐像は、府の重要美術品に指定されている。

明治5年(1872年)、村社に列し、大正2年(1913年)10月には郷社に昇格した。明治40年(1907年)には式内社である都夫久美神社を合祀したが、戦後復社した。

平成22年(2010年)は鎮座1300年にあたり、盛大な祭典が執行された。

毎年7月中頃、15日・16日に近い土日には各地区から布団太鼓が出て祭礼が行われている。

参道の石段の脇に大きなクスノキがある。「玉祖神社のくす」として、府の天然記念物に指定されている。

式内社「御祖神社」「鴨神社」を合祀している。「御祖神社」の旧跡が市内大窪521に、「鴨神社」の旧跡が市内大竹にある。

なお、当社・石切剣箭神社若江鏡神社という三式内社を直線でつなぐと、正三角形を形作ることでも知られている。

【ご利益】
事業成功、ものづくり、地域安全
玉祖神社 大阪府八尾市神立
【関連記事】
河内国式内三社のトライアングルとは? - 物部系の玉祖神社・石切剣箭神社・若江鏡神社
大阪府の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、大阪府に鎮座している神社の一覧
玉祖神社 大阪府八尾市神立の御朱印