垂仁朝の鳥取部に創祀、近世初頭の社殿が重文、境内に鳥取戎神社など
[住所]大阪府阪南市石田167
[電話]072-472-0951

波太神社(はたじんじゃ)は、大阪府阪南市石田にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

延喜式』巻9・10神名帳 畿内神 和泉国 日根郡「波太神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では府社

旧鳥取郷、中世には荘園としての鳥取ノ荘にあたる。鳥取、あるいは鳥取部は『古事記』にも登場する古い名称(『古事記』該当部分)。

当社は第11代垂仁天皇の時代、当地を下賜された天湯河板挙命(天湯河棚命)が創祀したと伝える。

御祭神は、角凝命(つのこりのみこと)。鳥取氏の祖で、系譜上は神皇産霊尊の子に相当するという。天湯河棚命はその十三世孫(四世孫とも)にあたる。

府内には、八尾市の御野縣主神社、柏原市の天湯川田神社宿奈川田神社などにも鳥取氏の伝承が残る。

「波太」とは、畑村、つまり現在の桑畑の地名によるという。桑畑から現在地への遷座の時期は不詳。

また、波多八代宿禰を祖神とする波多氏を指す可能性もある。関連して、岸和田市には八田町に矢代寸神社、畑町に波多神社がある。

南北朝時代の永徳年間(1381年-1383年)、貝掛の指出森神社(応神天皇)を合祀した。古くから、鳥取大宮または波太八幡宮と呼ばれた。

『和泉国神名帳』にも日根郡19社の中に「正四位下波太社」とある。

『信長公記』によれば、天正5年(1577年)、織田信長が紀州雑賀を攻めた時、当社に本陣を置いたという。

何度も兵火にさらされ、その度に焼失・再興を繰り返したが、慶長年間(1596年-1615年)、豊臣秀頼が再建した。

拝殿前の石灯籠は、慶長5年(1600年)の銘があり、豊臣家重臣の片桐且元が寄進したと伝わる。

江戸時代に入り、寛永15年(1638年)、本格的な再建が行われた。これが現在の本殿と、末社三神社の本殿であり、現在は国の重要文化財に指定されている。

三神社(南殿)の御祭神は、神功皇后武内宿禰・天湯河棚命。山神社(大山祇命)、門前社(豊磐門戸命・奇磐戸門命)。

他に、鳥居をくぐって左に村内各社を合祀した鳥取神社(鳥取戎神社、足神さんとも。天忍穂耳命)、右に市杵島神社(厳島神社。市杵嶋比売命国常立命)がある。

往古の祭礼は2月と6月の初午の日に行われ、そのため午祭と称し、2月の初午には貝掛の指出森神社へ神輿の渡御があった。

これには貝掛から甲胄姿の武者が出迎えた。また6月初午には各地区のやぐらが曳行され、俗に「石田の血祭り」と呼ばれた。この6月初午が、現在の10月の秋祭りの始まりである。

10月第2日曜日にやぐらの宮入りがあり、翌日には神輿渡御がある。拝殿前にある7段もの石段をものともせず豪快に曳き入れるのが目玉。

府条例の指定を受けている「三十六歌仙扁額」も伝えられている。土佐光成の筆によるもので、元禄年間(1688年-1704年)のもの。

【ご利益】
五穀豊穣、事業成功、厄災除け、安産
波太神社 大阪府阪南市石田
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波太神社 大阪府阪南市石田の御朱印