木津川の水禍除けに奉斎か、旧富野村の産土神、近世初頭の本殿
[住所]京都府城陽市富野荒見田165
[電話]0774-52-2014

荒見神社(あらみじんじゃ)は、京都府城陽市富野荒見田にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

延喜式』巻9・10神名帳 畿内神 山城国 久世郡「荒見神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。

旧富野村の産土神とし崇敬されている。御祭神は天火明命天香語山尊、天村雲尊、阿比良依姫尊木花開耶姫尊

飛鳥時代の大化3年(647年)、小篠峯の土豪である三富野部連金建が長池の東方に社殿を創建し、天神5柱を祀る。阿良美五社大明神と称した。

荒見、あるいは荒海とは、荒水の転訛によるとされ、木津川などの水禍を避けるために水神を祀ったのが創祀ではないかとの説がある。

当社には豪族の水主氏が関わったともいう。市内水主宮馬場には水主神社がある。また、水度神社も水主氏との関わりがある。

境内や山麓一帯は五社ヶ谷と呼称された。『山城国風土記』逸文に、奈良時代の和銅6年(713年)、「荒海の社祇社、み名は大歳の神とあり」とある。

室町時代の長禄5年・寛正元年(1461年)、五社ヶ谷より現在地に遷座した。吉田神道管領長上・ト部朝臣兼知が神殿を復元、造営した。

安羅見五社天神宮と称し、摂社御霊神社も同時に遷座した。文明19年・長享元年(1487年)、本殿・摂社を再建した。

江戸時代には天満宮と称され、慶長9年(1604年)、現在の本殿が建立された。元和8年(1622年)を始め、以降本殿が修復された。

別当は常楽寺。石清水八幡宮豊蔵坊の末寺だったという。明治になり、全国諸社合祀一郷一社の指示により、現社号に改称した。

本殿・摂社は旧国宝に指定されたが、昭和9年(1934年)、暴風雨で境内の大樹300余本が倒木、本殿も破損。

その後も本殿は何度も修繕され、現在は国の重要文化財に指定されている。摂社の御霊社も、府指定文化財。

例祭は10月1日-5日、秋例祭で、おいで祭。10月第3日曜日には献茶祭があり、城陽茶まつり。

神域には、アラカシ・シイ・クスなどが繁り、府文化財環境保全地区に指定されている。また、「新水の真名井」として御神水がある。

なお、式内社「荒見神社」の論社は他に、久御山町に同名の神社がある。

【ご利益】
地域安全、家内安全、子宝・安産
荒見神社 京都府城陽市富野荒見田
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荒見神社 京都府城陽市富野荒見田の御朱印