室町期から伝わる大弓神事、志賀郷七不思議「ミョウガさん」は2月3日
[住所]京都府綾部市金河内町東谷1
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阿須須岐神社(あすすきじんじゃ)は、京都府綾部市金河内町東谷にある神社。御朱印の有無は不明。

『延喜式神名帳』にある「阿須々伎神社/阿湏々伎神社(丹波国・何鹿郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では郷社。

社伝によると、創祀は第32代崇峻天皇(在位:588年-592年)の頃とされる。御祭神は、天御中主神神皇産霊神天皇産霊神道主貴神

古くは、現社地の西、金河内と坊口の境にある金ヵ峰に鎮座していたが、奈良時代の和銅6年(713年)、現社地に遷座したという。伝えにおける、金里宰相の頃か。

平安時代の元慶3年(879年)、丹波国司が国家の吉兆である慶雲が、当社に現れたと報告した。

明治2年(1869年)に、式内社「阿湏々伎神社」に比定されたが、明治12年(1879年)、篠田神社との間で式内論争が起こり、指定取り消しとなったという。

例祭は10月10日。大弓神事が奉納される。その起源は古く、室町時代後半まで遡れるという。

氏子の中から選ばれた射手12人が、 神事服を着用して神事舎に着座、素裸装束の師範とともに射礼を行い、その矢通しが終れば、射手3人ずつ交互に四度立射し、15間へだてた垜にかかる尺二的に百射を行う。

続いて、四寸の金的に奉射し、的中した第一矢により射上げとなり、両的を神前に奉献し、射手全員正殿に正対して礼拝を行い、師範は大弓神事完了の賀詞を奏上する。

2月上旬に「茗荷祭 祈願祭」が行われる。地元の人から「ミョウガさん」と親しまれている。その起源は下記の通り。

第32代崇峻天皇の頃、大和朝廷は、国を固めるため、金丸親王(麻呂子親王)を遣わし、丹波の国々の地方豪族を征伐することになった。

激戦の末、丹波の国々を平定した金丸親王は大いに喜び、ひとえに神仏のおかげと、丹波の国々に七仏薬師如来を納め、国家の安泰を祈願した。

同時に、志賀の里の「藤波」「金宮」「若宮」「諏訪」「白田」の五つの社を厚く信仰 した。

奈良時代になり、金丸親王の子孫である金里宰相は、この五社の大明神に千日参りをし、完遂した。

これを記念して 藤波には「藤」、金宮には「茗荷」、若宮には「萩」、諏訪には「柿」、白田には「竹」をお手植えした。

この時以来、この志賀の里にいろいろ不思議な奇瑞があらわれるようになった。この五社のほかに、向田の「しずく松」「ゆるぎ松」にも同時に不思議な霊験があらわれた。

これらをあわせ「志賀郷の七不思議」として、今に語りつがれている。当社は「金宮」で、金宮大明神、あるいは古来、吾雀宮(あすすぎのみや)とも呼ばれた。

当社では、毎年旧暦正月三日になると、日の出より8時までの間に、清水の流れる「お宝田」から、茗荷が三本出るとされる。

これを神前に供え、その茗荷の出る場所、育ち具合いから、その年の稲作の早稲・中稲・晩稲の吉凶を占い、その年の作物の出来具合い、風水害、かんばつまでも占う。

これが現在では2月3日に行われる「茗荷祭」。この日の参拝者には、この占いの写し(お宝付の写し)と、魔除けの矢、甘酒、お餅などが振る舞われる。

境内社に、稲荷社などがある。

【ご利益】
五穀豊穣、厄災除け、地域安全、地域振興
阿須須岐神社 京都府綾部市金河内町東谷
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