「白田大明神」、「志賀の七不思議」の一つ竹の子さんは2月4日
[住所]京都府綾部市篠田町宮ノ下6-1
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篠田神社(しのだじんじゃ)は、京都府綾部市篠田町宮ノ下にある神社。御朱印の有無は不明。

『延喜式神名帳』にある「阿須々伎神社/阿湏々伎神社(丹波国・何鹿郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。

創祀年代は不詳。棟札に、平安時代の延暦15年(796年)の再建とある。後述の縁起もあり、江戸時代には「白田大明神」と称された。

その棟札には、「式内阿須々岐神社」と記され、明治時代になり、式内社「阿須々伎神社」を主張、式内比定されていた阿須須岐神社と争いがあった。

御祭神は大国主命。例祭は20月第4日曜日。当社は、2月上旬に行われる筍祭が有名。その縁起は下記の通り。

第32代崇峻天皇の頃、大和朝廷は、国を固めるため、金丸親王(麻呂子親王)を遣わし、丹波の国々の地方豪族を征伐することになった。

激戦の末、丹波の国々を平定した金丸親王は大いに喜び、ひとえに神仏のおかげと、丹波の国々に七仏薬師如来を納め、国家の安泰を祈願した。

同時に、志賀の里の「藤波」「金宮」「若宮」「諏訪」「白田」の五つの社を厚く信仰 した。

奈良時代になり、金丸親王の子孫である金里宰相は、この五社の大明神に千日参りをし、完遂した。

これを記念して 藤波には「藤」、金宮には「茗荷」、若宮には「萩」、諏訪には「柿」、白田には「竹」をお手植えした。

この時以来、この志賀の里にいろいろ不思議な奇瑞があらわれるようになった。この五社のほかに、向田の「しずく松」「ゆるぎ松」にも同時に不思議な霊験があらわれた。

これらをあわせ「志賀の七不思議」として、今に語りつがれている。

このうち、当社は「白田」に該当する。白田大明神の「竹の子さん」が当社の奇瑞。当社は向田大明神ともされる場合があるが、これは向田の里の2本の松の奇瑞との混同か。

毎年旧暦正月4日になると、日の出より8時までの間に、神殿裏の「御ミノシベ」と呼ばれる竹林から、竹の子が3本出てくるという。

これを神前に供え、その竹の子の出る場所、育ち具合いから、その年の稲作の早稲・中稲・晩稲の吉凶を占う。

この神事は現在、2月4日に「筍祭 祈願祭」として行われ、地元の人からは、「タケノコさん」として親しまれている。

当日は、餅つき・甘酒の接待やぜんざい・七色餅の販売もある。

境内社に、春日明神・天照皇大神宮・愛宕護神社・廣嶺神社・八幡宮などがある。

【ご利益】
五穀豊穣、地域安全、地域振興
篠田神社 京都府綾部市篠田町宮ノ下
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