『古事記』記載の討伐された武埴安彦の悪霊、1月に「いごもり祭」
[住所]京都府相楽郡精華町大字祝園小字柞ノ森18
[電話]0774-94-3770

祝園神社(ほうそのじんじゃ)は、京都府相楽郡精華町祝園柞ノ森にある神社。御朱印の有無は不明。

延喜式』巻9・10神名帳 畿内神 山城国 相楽郡「祝園神社」に比定される式内社(大社、月次・新嘗)。近代社格では郷社。

第10代崇神天皇の御代、第8代孝元天皇の皇子である武埴安彦が朝廷に反逆を企て、ついにこの地で討伐された(『古事記』該当部分)。

その亡魂が柞ノ森に留まり、人民を悩ませたので、奈良時代の第45代聖武天皇の御代、神亀年間(724年-729年)に撲滅しようとしたが解決しなかった。

第48代称徳天皇の御代、勅命により、大中臣池田六良広綱、宮城七良朝藤が祝部となり、神護景雲4年(770年)1月21日の春日大神を勧請し、創祀。

御祭神は、健御雷命経津主命天児屋根命。木津川の西岸に鎮座する。

平安時代になり、『新抄格勅符抄』(神事諸家封戸、大同元年(806年)牒)に、「祝園神 四戸山城国」とある。

『日本三代実録』では、貞観元年(859年)正月27日、従五位下から從五位上へ進んでいる。

室町時代の嘉吉元年(1441年)に書かれた『興福寺官務牒疏』には、当社に在僧2人、祝主3人、神人3人がいたとある。

『建内記』によれば、嘉吉4年(1444年)正月24日 「春日社領祝園庄公文職事」とある。

戦国時代の天正4年(1576年)7月24日、天下泰平の国宣があったという。江戸時代になり、当社は春日神社と称された。

現存の棟札によれば、江戸時代中期の正徳2年(1713年)8月19日、前代未聞の大洪水に見舞われ、当社社殿が大破したという。現在も当地で語り継がれる「正徳の水害」である。

また安永5年(1776年)、「祝園森薬師寺」の再建が行われている。当社の別当寺だろうか。水難を避ける工夫がなされた。

幕末の慶応3年(1867年)年8月、有栖川官家より寄進があった。明治6年(1873年)、郷社に列した。

例祭は10月10日。毎年正月甲申の日より3日間にわたり、「いごもり祭」が行われる。武埴安彦命の悪霊に対して、忌み篭もってこの霊を鎮めたという故事に基づく。

昔は、祭りの間牛や馬を隣村へ預け、一切の音を禁じ、精進料理を食し、居篭ったという。

1日目に神官が暗闇の中で行なう「風呂井の儀」、2日目に松明を燃やす「御田の儀」、3日目に「綱引の儀」が行われる。

綱はわらに割り竹を巻いて作った直径約1メートルの輪に、竹を6本取り付けた巨大なもので、氏子が南北に分かれて3回綱引きを行なう。

勝敗が決まった後、武埴安彦の処刑場所と伝えられるいずもりに綱を運んで燃やす。

なお、和伎坐天乃夫岐売神社にも関連祭事が伝わっており、「涌出宮の宮座行事」として、国の重要無形民俗文化財に指定されている。

境内社に、西宮神社(事代主命)・天満宮(菅原道真公)・稲荷神社(稲倉魂命)・出雲神社(大己貴命)・有功神社(布留御霊神道臣命相殿)・祈雨神社・熱田神社(日本武尊)・熊野神社(伊邪那岐神)・大神宮(大日要命)・若宮神社(大鷦鷯命)がある。

【ご利益】
厄災除け、悪霊退散、武運長久・勝運、諸願成就
祝園神社 京都府相楽郡精華町祝園柞ノ森
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