飛鳥朝の創祀、家康を本能寺から救う、中世には木津駅惣社天神社とも
[住所]京都府木津川市木津町大谷105
[電話]0774-72-8200

岡田国神社(おかだくにじんじゃ)は、京都府木津川市木津町大谷にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

延喜式』巻9・10神名帳 畿内神 山城国 相楽郡「岡田国神社」に比定される式内社(大社、月次・新嘗)の論社。近代社格では郷社。

社伝によれば、飛鳥時代の斉明天皇5年(659年)9月、生国魂尊を祀ったのに始まるという。

生国魂尊は不詳だが、摂津国東生郡の生國魂神社、あるいは生嶋巫祭神二座などとの関連をうかがわせる。あるいは、春日社や賀茂氏との関係も指摘される。

国史の初見は、『日本三代実録』貞観元年(859年)年正月27日条、当社に従五位上の神階を授けるという記述である。岡田鴨神社とともに進んだ。

天慶元年(938年)11月、相殿の八幡宮が創建された。気長足仲彦命気長足姫命誉田天皇の八幡神を祀る。

平安時代、あるいは鎌倉時代ともされるが、天神信仰が高まり、当社に菅原道真(天神)が合祀され、以降、天神宮・木津駅惣社天神社と呼ばれるようになった。

大路村・千童子村・枝村・小寺村・南川村の旧木津郷内五ヶ村の氏神として崇敬された。

天正10年(1582年)の本能寺の変で、堺より逃れた徳川家康が、木津川から伊賀越えで三河に向かった際、当社の関係者が木津川から伊賀に抜ける山道の案内をしたという。

江戸時代になり、その報恩か、慶長9年(1604年)、家康の命により、京都所司代板倉勝重から山林が寄進された。

明治6年(1873年)5月に郷社に列した。明治11年(1878年)3月、式内社に認定され、現社号に改称した。

昭和58年(1983年)、4万坪の境内地の一部を日本住宅公団に買却、その代金によって新社殿が建立された。その後、旧社殿一式が府登録文化財になった。

例祭は10月21日で、蒲団太鼓台祭。木津祭りとも。100名前後の担ぎ手による神輿祭がある。幕末のころには7基あったという神輿は現在は5基で、御霊神社、当社、田中神社に宮入りする。

なお、式内社「岡田国神社」の論社は他に、市内加茂町大野に鎮座する勝手神社の境内末社である春日神社がある。

【ご利益】
地域安全、事業成功、学業・受験合格、厄災除け
岡田国神社 京都府木津川市木津町大谷
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岡田国神社 京都府木津川市木津町大谷の御朱印