垂仁朝に創祀、領主が崇敬した昼目観音、義経の臣鷲尾十郎らを配祀
大売神社 兵庫県篠山市寺内356
[住所]兵庫県篠山市寺内356
[電話]079-552-1096

大売神社(おおひるめじんじゃ)は、兵庫県篠山市寺内にある神社。御朱印の有無は不明。

『延喜式神名帳』にある「大賣神社(丹波国・多紀郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では県社

第11代垂仁天皇の御代、皇女が天磐船で当地に赴き、榊を植え、注連縄を張り、木を曲げて奉斎したのが当社の始まり。

御祭神は大宮売命(大宮賣命)で、大売霊とも記され、天照大神のこととする。

『延喜式神名帳』宮中の御巫等祭神八座の1柱、あるいは丹後国丹波郡の大宮売神社などとの関連も考えられるが、社名の読みとしては、やはり天照大神(大日孁尊)か。

平安時代、桓武天皇の御代になって、初めて神殿を営んだという。

戦国時代の永禄3年(1560年)、当時の領主である丹波八上城主波多野秀治は当社を祈願所とし、崇敬篤く、自ら大磐若経全部を書写して奉納した。

江戸時代になり、寛文元年(1662年)、松平若狭守康治は、神田を寄附し、社殿を再建。享保18年(1733年)6月、正一位大賣神社の神額が奉納された。

近世には多紀郡北の庄11ヶ村の総社で、「昼目観音」と称した。別当寺は昼目山圓光寺(円光寺)。

江戸時代後期の天保13年(1842年)、社殿を再建、明治元年(1868年)、圓光寺と分離し、明治6年(1873年)、村社に列した。

明治41年(1908年)、9ヶ村の氏神となり、大正10年(1921年)2月に郷社、昭和4年(1929年)2月に県社に昇格した。

現在は、素盞嗚尊大歳命応神天皇武甕槌命・大山主命・経津主命天児屋根命・姫大神・鷲尾十郎を配祀する。

大山主命は不明。大山祇命か、大国主命か、大山咋命か、可能性は低いが大山守命か。奈良市の氷室神社の御祭神が闘鶏稲置大山主命ではあるが、関連があるとは考えづらいか。

鷲尾十郎は、西摂津から播磨にかけて勢力を張り、要路の要所を押さえていた「鷲尾党」の一族。「(鷲尾)十郎屋敷跡」と「鷲尾三郎供養の宝筐印塔」が近くにある。

鷲尾三郎は、『源平盛衰記』では鷲尾三郎経春、『平家物語』では鷲尾三郎義久として登場する。西国不案内の源義経一行を道案内した人物。

義経一行は彼を家臣に加え、鷲尾三郎は鵯越への案内役を勤め、結果、義経は鵯越にて須磨浦へたどり着き、一ノ谷の戦いへとつながる。

鷲尾三郎は、奥州衣川館で藤原泰衡らに襲われ、義経が自害するまで従い、衣川で討死したという。当社と、鷲尾党の関係は不明。

例祭は春季が4月吉日、秋季が10月吉日。境内社に稲荷神社がある。笠鷺稲荷として、おでき治癒に霊験があるという。奉納された麦藁帽子がぶら下がっている。

本殿東側に無造作に置かれた雌雄一対の砂岩製狛犬は、市内でも最も古い石造り狛犬として文化財指定を受けている。

左奥の小社、三岳修験道場「鳥の堂」や、本殿東南の鳥居の靴石という大石が知足廃寺の礎石の一つとされるなど、各種遺構も残る。

【ご利益】
開運招福、事業成功、五穀豊穣
大売神社 兵庫県篠山市寺内
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