平安末期に香取神宮を勧請、11月に区内唯一の酉の市、祭囃子発祥の地
[住所]東京都葛飾区東金町6-10-5
[電話]03-3607-4560

葛西神社(かさいじんじゃ)は、東京都葛飾区東金町にある神社。近代社格では郷社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

創建は平安時代末期、元暦2年(1185年)。上葛西、下葛西合わせた三十三郷の総鎮守として葛西三郎清重が香取神宮の御分霊を祀ったのが始まり。

もとは香取宮とも。御祭神は経津主神

現在の行政区分では、東京都葛飾区、江戸川区の全域、墨田区、江東区、足立区の一部地域にあたる。この地は葛西御厨の神域にある。

もともと香取神宮との関係が深く、往還の人馬から関銭なども徴収し、香取神宮の用途に充てたり、三十三郷の中の四郷は、21年ごとに香取神宮の造営を携わっていた。

近隣にお酉様として日本武尊が祀られていたのを当社が合祀。この際、家々で飼われていた鶏が別れを悲しんで一斉に鳴き声を上げたという伝承が残されている。

区内唯一のお酉様として、11月の酉の日には、現在も酉の市が開かれ、熊手を求める参拝者で賑わっている。

江戸時代初め、徳川家康が当社を参拝、古くから伝わる操り人形芝居の神事を見て感激し、奨励のため天正19年(1591年)に玄米10石を扶持として与える御朱印を下賜した。

その後、家康を徳川家康尊として合祀した。明治に入り、香取神社に改称、明治8年(1875年)、郷社に列し、明治14年(1881年)、現社号に改称した。

例祭は9月中旬。神輿渡御などがある。祭囃子発祥の地とされるすなわち葛西囃子は城東地域(東京東部)に古くから伝わる郷土芸能の一つ。

起源は、享保年間(1716年-1736年)、当社神官である能勢環が敬神の和歌に合わせ、音律を工夫し、和歌囃子として村の若者に教えたことによるという。

宝暦3年(1753年)頃より関東代官伊奈半左衛門忠順が天下泰平・五穀豊穣を祈願するとともに一家和合ならびに青少年の善導を目的としてこれを奨励した。

結果、毎年各地で葛西囃子代表者の選出会が催されることとなり、選出された者を代官自ら神田明神の将軍家御上覧祭りに推薦したことで大流行した。

以来、お囃子は盛んの一途を辿り、神田囃子、深川囃子、また関東周辺にも広まり、秩父、川越、石岡、また東北地方、東海地方の囃子の流儀を生んだ。

幕末や戦中の混乱で衰退することはあったものの、戦後に保存会が結成され、当社例祭や酉の市に演奏される。都の無形文化財に指定されている。

11月の酉の市の夜には、神楽殿において素人演芸大会が行われており、第二次世界大戦以前から長く続く。

また、NHKのテレビ番組「NHKのど自慢」の初代の鐘が奉納され、今でもその鐘で参加者の歌唱力を審査している。

5月下旬には泣き相撲が開催される。生後6ヶ月から2歳半までの赤ちゃんが参加できる。詳細はこちらから。

毎月第1土曜日に朝8時から夕方まで、当社青空骨董市委員会による青空骨董市が開かれており、多数の出店がされている。

境内社に、厳島神社(市杵嶋姫神)、諏訪神社(建御名方神)、稲荷社(倉稲魂神)、葛西天神社(菅原道真命)、三峯神社(日本武尊<三峯大神>)、富士塚の頂上に富士社(木花咲耶姫神)、神明社(天照大御神)、道祖神社(猿田彦神)、水神社(罔象女神)、金町招魂神社がある。

社務所では多くの御守など、多くの授与品が用意されている。

【ご利益】
武運長久・勝運、事業成功、商売繁盛、家内安全(公式HP
葛西神社 東京都葛飾区東金町
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