宇喜多秀家も風待ちした泊浦、三島大明神の后を祀る島内最大の神社
[住所]東京都新島村大字式根島泊
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泊神社(とまりじんじゃ)は、東京都新島村式根島泊にある神社。御朱印の有無は不明。

『延喜式神名帳』にある「久尓都比咩命神社/久爾都比咩命神社(伊豆国・賀茂郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では無格社。

江戸時代、三宅島や八丈島へ向かう御用船や廻船などが風待ちをした泊浦の近くに鎮座する。関ヶ原の敗将、宇喜多秀家も八丈島へ流される途中、当地に滞在した。

当社は島内最大の神社で、創祀年代は不詳。通称は泊明神だという。御祭神は泊御途口大后明神で、久爾都比咩命とも呼ばれる。

『三宅記』によれば、三島大明神事代主命)は五人の后を島々に置き、あたら嶋と呼ばれた新島には、「みちのくちの大后」が置かれた。

当社の御祭神はこの「みちのくちの大后」に相当する。元禄年間(1688年-1704年)の大津波で孤島となってしまったが、式根島はもともと新島と陸続きだったという。

近くの新島には、当社御祭神の御子神を祀る大三王子神社がある。また、新島には当社御祭神を祀る十三社神社がある。

江戸期、当社は「泊大后大明神御社」「泊水戸口大后大明神御宮」「泊御途口神社」などと称したという。

当初は泊浦に鎮座したが、風雨のため破損が続き、江戸時代後期の文化10年(1813年)4月、泊浦を見下ろす神山の上に遷座した。

明治45年(1912年)7月25日、神山から100メートルほど離れた現社地へ遷座した。

大正11年(1922年)、野伏港湾上に鎮座していた泊御途口大后明神の御子神である野伏若御子明神を合祀した。野伏若御子神社とも、『三宅記』には見えず、新島独自の伝承。

当社の例祭は11月8日。

式根島内の字山神に鎮座する山神神社(大山祇命)、字足付に鎮座する大王社(大王大神・海神・役行者)、字差出に鎮座する差出神社(差出明神)が当社の境外末社。

このうち、差出神社は『三宅記』に出てくる三島大神の随神の「剣の御子」を祀るとされている。

なお、兵庫県加古川市加古川町にも同名の神社がある。

【ご利益】
水難除け、海上安全、大漁満足、地域安全、地域振興
泊神社 東京都新島村大字式根島泊
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