三島明神の御子神である大三王子、400段の石段、大三山の中腹に鎮座
大三王子神社 東京都新島村本村大三山BIG
[住所]東京都新島村本村大三山
[電話]-

大三王子神社(だいさんおうじじんじゃ)は、東京都新島村本村大三山にある神社。御朱印の有無は不明。

『延喜式神名帳』にある「多祁美加々命神社(伊豆国・賀茂郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では無格社。

新島港の近くにある大三山の中腹に鎮座する。400段にもなる苔むした石段はすり減り、社務所から本殿にいたる最後の石段は、土足で登らないことが慣習。

創建年代は不詳。御祭神は大三王子明神で、多祁美加々命とも呼ばれる。相殿に弟神である弟三王子明神(でいさんおうじみょうじん)を祀る。

『三宅記』によれば、三島大明神事代主命)は五人の后を島々に置き、あたら嶋と呼ばれた新島には、「みちのくちの大后」が置かれた。

この「みちのくちの大后」は、新島の近くの小島である式根島の泊神社で祀られている。当社の御祭神は、この大后の二人の王子。新島には他に、当社御祭神を祀る十三社神社がある。

大三王子は、三島大明神の三番目の御子神で、第三大明神(だいさんだいみょうじん)とも記される場合があり、弟神は第三王子明神と記される。

大昔、近江の琵琶湖に住む漁夫の娘が大漁を祈って水神の生贄に差し出された。白鳩になって新島へ逃げたが、蛇になって追い詰めた水神に喰い殺された。

怒った当社御祭神の大三王子は剣を抜いて大蛇を切り殺して退治した。その後、新島に当社が創建され、退治に使った剣が納められ、今も伝えられているという。

もとは兄弟神が垂迹した能登男山(ぬとおやま)の西傾斜地に鎮座していたが、御宮もなく、参拝も許されなかったという。

江戸時代前期の貞享3年(1686年)に現在地に遷座した。元禄13年(1700年)には社殿が再建された。寛永5年(1708年)にも造営の記録が残る。

その後、江戸時代中期の享保16年(1731年)に再興、延享3年(1747年)7月に社殿が修覆され、さらに明治8年(1875年)に改築された。

境内からは本村の集落、前浜海岸、伊豆半島、式根島、神津島、そして能登男山方面と広角度に望むことができる。

神域には清流が流れ、太鼓橋がかけられ、うっそうとした古木、神秘的で荘厳。漁業の神として、近傍の崇敬と、島民の信仰を集めている。

例祭は7月5日。

なお、式内社「多祁美加々命神社」の論社は他に、下田市吉佐美の八幡宮左殿の若宮がある。

【ご利益】
水難除け、大漁満足、海上安全、地域安全、家内安全
大三王子神社 東京都新島村本村大三山
【関連記事】
東京都の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、東京都に鎮座している神社の一覧