弓箭・安産の神、農業用水や祈雨の女神、江戸期には淡洲明神とも
伊古乃速御玉比売神社 埼玉県比企郡滑川町大字伊古1242
[住所]埼玉県比企郡滑川町大字伊古1242
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伊古乃速御玉比売神社(いこのはやみたまひめのじんじゃ)は、埼玉県比企郡滑川町伊古にある神社。御朱印の有無は不明。

延喜式』巻9・10神名帳 東海道神 武蔵国 比企郡「伊古乃速御玉比賣神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では郷社。

第24代仁賢天皇の御代、蘇我石川宿禰の末裔が当地を開き、標高131.8メートルの二ノ宮山に、気長足姫命大鞆和気命武内宿禰命の3柱を奉斎したのが始まり。

『古事記』にもあるように、これら3柱の三韓征伐にともなう弓箭、またその間の故事としての安産の霊験がある神として、古来より崇敬された。

社名通り、本来の御祭神は速御玉比売命だとする説が強い。他に、紀伊加太神社を勧請した淡洲明神とも、安房国一宮安房神社の后神である天比理乃咩神の異名とも。

淡洲明神については、当社の分社と考えられている淡洲神社が、滑川町水房、山田(二社)、福田、土塩、嵐山町勝田、太郎丸に鎮座する。

当地は「和名抄」に載る比企郡渭後郷に比定される。読みは、水辺を表す「沼乃之利(ぬのしり)」とされる。

渭後は社名の伊古に通じ、滑川に沿う細長い谷間の土地を指す。その山あいに数多くの溜池が設けられ、農業用水に利用された。

この地名は、渡来系氏族である壬生吉志氏との関連が指摘される。本拠地である難波の地名を比企の渭後、都家、高生、さらに男衾の榎津にもたらしたとする。

摂津国西成郡に鎮座する座摩神社との関連も指摘される。宮中の座摩神とともに、井水や敷地の守護神という共通項もあるという。

壬生吉志氏に関しては、寄居町富田に鎮座する旧男衾郡総鎮守である小被神社、また稲乃比売神社との関わりも指摘される。

戦国時代の文明元年(1469年)、二ノ宮山山頂から現在地に遷座した。江戸時代には淡洲明神と称した。

『新編武蔵風土記稿』によると、当社の別当は天台宗東叡山寛永寺末の岩曜山明星院円光寺。円光寺には薬師堂があり、ここに安置する薬師如来像が当社の本地仏だった。

町内一帯には農業用水として数多くの溜池が造られているが、日照りの続く年は、二ノ宮山上で雨乞いを行う。

雨乞いの時は、村人が当社に集まり、生きた「やまかがし」を入れた長さ5メートルあまりの藁蛇を作る。

この蛇は、笛や太鼓の囃子で送り出され、伊古堰と新沼に入り、大いに揉む。次いで二ノ宮山頂に登り、山上の松の古木に蛇を縛りつける。

蛇は、天に昇って竜となり雨を降らせると伝わる。当社祭祀の原風景なのかもしれない。

境内全域に自生する樹水は、南半部にアラガシを主とする暖帯常緑樹、北半部はアカシデ、ソロを主とする温帯落葉樹で両帯樹が相生している。

県の天然記念物に指定されている他、「ふるさとの森」に選定されている。

段を登りきったところにそびえ立つ御神木「ハラミ松」は箭弓・安産の御祭神と相まって、近年でも広く信仰されているという。

例祭は10月15日。境内社に天満天神社・金刀比羅神社がある。

【ご利益】
武運長久・勝運、安産、病気平癒
伊古乃速御玉比売神社 埼玉県比企郡滑川町伊古
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