勅使が稲穂を運んできたから「蒔田」、3月3日に古風なお田植え祭
[住所]埼玉県秩父市蒔田字宮平2842(上蒔田)
[電話]0494-24-5959
椋神社(むくじんじゃ)は、埼玉県秩父市蒔田宮平(みやのたいら)、いわゆる上蒔田にある神社。上蒔田椋神社とも。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳 東海道神 武蔵国 秩父郡「椋神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。
創始年代は不詳。社伝によると、日本武尊が東征の際、当地の椋(ムクノキ)の大樹の根元に、大己貴命を奉祭し、椋大神と称したという。
また、勅使が美濃国蒔田の里より稲穂を運んできて、当地に蒔いたため、蒔田という地名になったという。
現在は、主祭神が大己貴命・猿田彦命、榛名大神・稲荷大神・丹生大神・赤城大神を配祀する。
例祭は3月3日で、お田植え祭。もとは旧暦2月3日。「蒔田椋神社御田植神事」として、市指定民族資料。
境内にしめ縄を張りめぐらして御田代に見立て、鳥居の外にわらで龍を形どった水口が設けられる。
毎年氏子の中から十二人の神部が選ばれ、その中の二人が作家老となって神事の主役となる。
祭典の後、坪割り(四方固め)、続いて水乞い神事に近隣の丹生神社まで行き、水ぬさと呼ぶ御幣をいただき御田代に水口を立て、田仕事が始まる。
「御代の永田に手に手をそろえて、いそげや早苗手に手をそろえて」と田植唄を唄いながら演じる所作は、多くの古風な習俗を伝承している。
なお、式内社「椋神社」は多くの論社があり、当社の他、秩父郡皆野町皆野・秩父郡皆野町野巻・秩父市下吉田・秩父市中蒔田に同名の神社がある。
このうち、中蒔田は当社と同じく蒔田字宮平にあるが、宮平の読みが違い、当社から北東方向、国道299号線沿いに約2キロほどの所に鎮座する。
珍しいケースだが、当社を含むこれらの論社はすべて、明治政府により式内社を名乗ってよいとの許可を得た。
【ご利益】
五穀豊穣、地域安全、交通安全
【関連記事】
・埼玉県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、埼玉県に鎮座している神社の一覧
[電話]0494-24-5959
椋神社(むくじんじゃ)は、埼玉県秩父市蒔田宮平(みやのたいら)、いわゆる上蒔田にある神社。上蒔田椋神社とも。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳 東海道神 武蔵国 秩父郡「椋神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。
創始年代は不詳。社伝によると、日本武尊が東征の際、当地の椋(ムクノキ)の大樹の根元に、大己貴命を奉祭し、椋大神と称したという。
また、勅使が美濃国蒔田の里より稲穂を運んできて、当地に蒔いたため、蒔田という地名になったという。
現在は、主祭神が大己貴命・猿田彦命、榛名大神・稲荷大神・丹生大神・赤城大神を配祀する。
例祭は3月3日で、お田植え祭。もとは旧暦2月3日。「蒔田椋神社御田植神事」として、市指定民族資料。
境内にしめ縄を張りめぐらして御田代に見立て、鳥居の外にわらで龍を形どった水口が設けられる。
毎年氏子の中から十二人の神部が選ばれ、その中の二人が作家老となって神事の主役となる。
祭典の後、坪割り(四方固め)、続いて水乞い神事に近隣の丹生神社まで行き、水ぬさと呼ぶ御幣をいただき御田代に水口を立て、田仕事が始まる。
「御代の永田に手に手をそろえて、いそげや早苗手に手をそろえて」と田植唄を唄いながら演じる所作は、多くの古風な習俗を伝承している。
なお、式内社「椋神社」は多くの論社があり、当社の他、秩父郡皆野町皆野・秩父郡皆野町野巻・秩父市下吉田・秩父市中蒔田に同名の神社がある。
このうち、中蒔田は当社と同じく蒔田字宮平にあるが、宮平の読みが違い、当社から北東方向、国道299号線沿いに約2キロほどの所に鎮座する。
珍しいケースだが、当社を含むこれらの論社はすべて、明治政府により式内社を名乗ってよいとの許可を得た。
【ご利益】
五穀豊穣、地域安全、交通安全
【関連記事】
・埼玉県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、埼玉県に鎮座している神社の一覧
コメント