出雲大社と関係が深い武蔵国造の祖を祀る寄木宮、道真三男伝承も
[住所]埼玉県入間市宮寺寄木森1
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出雲祝神社(いずもいわいじんじゃ)は、埼玉県入間市宮寺寄木森にある神社。御朱印の有無は不明。

延喜式』巻9・10神名帳 東海道神 武蔵国 入間郡「出雲伊波比神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。

狭山丘陵の北麓、不老川の流域に鎮座する。氏子区域宮寺は古くから人々が居住した地で、縄文時代中期の石塚遺跡、古墳後期の元狭山久保地坑遺跡がある。

社伝によれば、第12代景行天皇の御代、日本武尊が東征の際、当地小手指ヶ原に至り、天穂日命天夷鳥命を祭祀して出雲伊波比神社としたという。

所蔵の棟札に「伊都毛伊波比再造 牟射志入間臣宇助 大寶2年壬寅9月29日」がある。大宝2年は飛鳥時代末期、702年である。

式内社「出雲伊波比神社」の論社は他に、所沢市小手指元町の北野天神社、毛呂山町岩井西の出雲伊波比神社、川越市宮下町の氷川神社がある。

『新編武蔵風土記稿』には寄木明神社とあり、むしろ式内社「国渭地祇社」である、としている。式内社「国渭地祇社」は一般的には北野天神社に合祀されているとされる。

大宝2年の棟札の他、「正安3歳辛丑3月再開 武蔵入間郡宮寺郷入間重太度利宮寺中」とある鳥居棟札も現存する。正安3年は鎌倉時代末期の1301年。

戦国時代の弘治3年(1557年)、北条氏康より朱印を賜り、天正18年(1590年)には徳川家康より朱印10石を賜った。

矢寺・荻原・小谷戸・大森・中野・坊・二本木の7ヶ村の鎮守で、近世には寄木宮、寄木の宮とも呼ばれ、御祭神は素盞鳴尊ともされた。

地名「寄木」について、社記には下記のようにある。
この辺の氏族は出雲系で、出雲の国杵築湾に漂う木を取りあげ造られたのが出雲大社であり、天穂日命が東国に下った時、杵築湾に漂い寄った樹種を携えて来て、当地に播種したのが、当寄木の森。
現在は、天穂日命・天夷鳥命の他、兄多毛比命を含め、3柱を主祭神とする。兄多毛比命は武蔵国造の祖であることは間違いないが、天穂日命の曾孫の十世孫、という。

現在までに、天照皇大神大国主神伊弉諾命伊弉冉命倉稲魂命菅原道真大山祇命市杵嶋姫命・速玉男命・事解之男命・大屋毘古命を合祀する。

このうち、東京都国立市の谷保天満宮の伝承として残る、菅原道真の三男とされる菅原道武が全国行脚の途次、当社に参詣、持参の菅原像を再拝して社の牛寅の方向に祀ったという。

この際、松・梅・桜を植えたとも伝わり、近辺には「松ノ木ヶ谷」「梅ノ木ヶ谷」「三本桜」の地名が現存している。

社記に「当社の御神体は以前は一個の石であった。長さ7寸(23センチ)ほどの石棒の断片で、上半分は出雲大社に、下半分は当社に、天穂日命が持参されたもの」とある。

明治初年には、出雲大社大宮司千家尊福が参拝、大きな額を奉納している。明治2年(1869年)、現社号に改め、明治5年(1872年)、村社に列した。

例祭は9月29日。

【ご利益】
一族・子孫繁栄、地域安全、地域振興、家内安全
出雲祝神社 埼玉県入間市宮寺寄木森
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