「ポンポン山」玉鉾石を祭祀、奈良朝の創建、中世には氷川社とも
[住所]埼玉県比企郡吉見町大字田甲1945
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高負比古神社(たかおひこねじんじゃ、高負彦根神社)は、埼玉県比企郡吉見町田甲にある神社。御朱印の有無は不明。

延喜式』巻9・10神名帳 東海道神 武蔵国 横見郡「高負比古神社」に比定される式内社(小社)。

標高38メートルの玉鉾山の頂上に南面して鎮座する。社殿の後方に玉鉾石という巨岩がある。

『武藏国風土記稿』によれば、この岩は踏みならすと鼓のような響きがあるため、この名があるという。

玉鉾山は現在、「ポンポン山」「ボンボコ山」と呼ばれているが、これも「鼓」からの連想だという。

当社の読みは、『延喜式』神名帳に「タケフヒコノ」「タカオヒコノ」とある。タケブとも。雄たけびで、叫ぶと同義語とされる。

現在の地名である「田甲」も、この玉鉾石をもとに、当社名の音にちなんだものと考えられる。

社伝によれば、奈良時代の和銅2年(710年)の創建。御祭神は、味耜高彦根尊大己貴尊

宝亀3年(772年)12月19日の太政官符に、「天平勝宝7年(755年)武蔵国幣帛ニ預ル社四処」として、「横見郡高負比古乃神」がある。

周辺は「高負彦根神社周辺遺跡」として奈良時代の集落跡が残る。このあたりの丘陵と沼は荒川が作りだしたものであるとされ、ポンポン山の下もかつては「荒川」の流路だった。

吉見丘陵東端には古墳群があり、横見郡として、当社を含む『延喜式神名帳』記載の三式内社(横見神社伊波比神社)があり、相当早くから開発された土地だと分かる。

中世以降は衰退し不明。玉鉾氷川名神社と称していた。氷川社となったのは、天穂日命の六世孫である五十根彦命の別名を高負比古命とする大宮氷川神社宮司家の伝承によるものだという。

氷川社として長かったためか、御祭神を素盞鳴尊とする説もある。

江戸時代中期天明3年(1783年)に再興したという。例祭は7月18日。

現在の田甲である高生郷には昔、獅子舞いの古い行事があった。旧暦6月には悪疫退散のため、獅子頭を冠り、一軒一軒を訪問していたという。

しかし、ある年、痢病(腹痛や下痢の激しい伝染病)が発生し、多くの死者を出した。村人たちは、これは産土神の神罰だと考えた。

そこで、獅子頭を当社境内に埋没し、その上に柊を植え、獅子封じを行った。以来、痢病がおさまったという。今に、獅子封じ塚が残る。

【ご利益】
平穏安寧、厄災除け、病魔退散、縁結び
高負比古神社 埼玉県比企郡吉見町田甲
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