東部八幡神社から江戸期に遷座した六郷領の鎮守、昭和期に社殿再建
[住所]東京都大田区久が原4-2-7
[電話]03-3752-4179

八幡神社(はちまんじんじゃ)は、東京都大田区久が原4丁目にある神社。近代社格では村社。現在は徳持神社の兼務神社で、御朱印も徳持神社で頂ける。

久が原の台地は弥生時代の集落が確認され、その開発時期は早い。現在、久が原には当社を含め、少なくとも三社の八幡神社があるため、当社は特に久が原西部八幡神社と呼ばれる。

他に、1丁目には道々橋八幡神社が、2丁目には久が原東部八幡神社があり、このうち、後者が当社との関連が深い。

奈良時代の神護元年(765年)9月、宇佐八幡宮を勧請したと伝えられる。御祭神は誉田別之大神

ただし、この際は久が原一番の高所に奉斎された、とされるため、当初の鎮座地は現在の久が原東部八幡神社だったとされる。

『延喜式神名帳』にある「稗田神社(武蔵国・荏原郡)」に比定される式内社(小社)の論社として、『日本「神社」総覧』では久が原東部八幡神社の住所を記載している。

徳川氏が入国してから、東側の馬込領(向・むかい)、西側の六郷領(原・はら)に二分され、当社は六郷領の鎮守として崇敬された。

当社はこの際の遷座だと思われる。別当は安詳寺だったという。明治6年(1873年)、村社に列した。例祭は9月15日。

銅萱葺権現造の旧社殿は、江戸時代後期の文化7年(1810年)7月の造営だったが、老朽化に伴い、昭和も後半に再建されることになった。

昭和54年(1979年)9月13日に正遷座祭が斎行され、翌日からの3日間、竣工奉祝祭例大祭があり、奉祝稚児行列・神輿渡御・奉納演舞・演芸などが盛大に行われた。

境内末社に稲荷神社がある。御祭神は宇迦之魂大神で、相殿に東照宮(徳川家康公)を祀る。その社殿は明治12年(1879年)9月の造営で、これがもとの当社本殿だという。

【ご利益】
厄災除け、地域安全、家内安全
八幡神社 東京都大田区久が原4丁目(西部)
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八幡神社 東京都大田区久が原4丁目(西部)の御朱印