戦国期創建の八幡も、それ以前からの祭祀で式内論社、青山宗俊の崇敬
鵜ノ木八幡神社 東京都大田区南久が原2-24-1
[住所]東京都大田区南久が原2-24-1
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鵜ノ木八幡神社(うのきはちまんじんじゃ)は、東京都大田区南久が原にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

延喜式』巻9・10神名帳 東海道神 武蔵国 荏原郡「稗田神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では無格社。

天明伊賀守光信の子五郎右衛門光虎が戦国時代の延徳元年(1489年)、下野国より当地に移り、応神天皇を勧請して創建した。

口碑によれば、江戸時代前期の寛文年間(1661年-1672年)、青山因幡守宗俊が当社を厚く崇敬し、社殿を修理したと伝えられる。

『新編武蔵風土記稿』には、鵜ノ木村の八幡社として、村の北に鎮座。除地2段あまり。社は2間半四方。前に石の鳥居を建て、入口に石階5級を設置、別当は増明院、とある。

『式内社調査報告』では、「鸛(鵜カ)の木村名主五郎右衛門の宅地にある祠などは昔、稗田神社といった」という記録をもとに、当社を式内論社としている。

つまり、もともと小祠があり、それがもとの式内社で、戦国時代になり、八幡神が新たに勧請・合祀された可能性がある、ということか。

江戸時代後期の弘化4年(1847年)に造営された旧社殿は、昭和20年(1945年)の空襲により焼失し、平成12年(2000年)になって社殿などが再建された。

この時、改めて八幡総本宮である大分県の宇佐神宮より御分霊を勧請したという。

境内左手隅に、奨兵義会記念碑という石碑がある。明治35年(1902年)、当社境内西北隅に建てられたもので、旧鵜ノ木村・旧鵜ノ木山谷から兵役の義務に服した子弟を顕彰するもの。

空襲を含めた第二次大戦の混乱期に境内に埋蔵されてしまったが、平成11年(1999年)、再建工事の際に、50年ぶりに発掘され、復元した。

なお、式内社「稗田神社」の論社は他に、港区三田の御田八幡神社、大田区東六郷の六郷神社、蒲田の薭田神社、久が原の八幡神社がある。

【ご利益】
厄災除け、安産、地域安全、家内安全
鵜ノ木八幡神社 東京都大田区南久が原
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鵜ノ木八幡神社 東京都大田区南久が原の御朱印