木之本古墳群がある旛羅大神、成田家の崇敬、江戸期には熊野三社大権現
榆山神社 埼玉県深谷市原郷336
[住所]埼玉県深谷市原郷336
[電話]048-571-2018

榆山神社(にれやまじんじゃ)は、埼玉県深谷市原郷にある神社。御朱印の有無は不明。

延喜式』巻9・10神名帳 東海道神 武蔵国 播羅郡「楡山神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では県社

第5代孝昭天皇の御代の創建という。御祭神は伊邪那美命。近くには木之本古墳群があり、当社や末社も古墳祭祀が原点ともいわれる。

社名の由来は、神域一帯に楡の木が多かったことによる。正面大鳥居の脇の楡の古木は、代々御神木と崇められ、樹齢700年とも1000年とも。県指定天然記念物。

旧原ノ郷村は、旛羅太郎道宗が再興した地。旛羅ノ郷(はらのごおり)と呼ばれ、当社は旛羅郡の総鎮守、旛羅郡総社として崇敬され、旛羅大神とも呼ばれた。

平安時代の康平年間(1058年-1065年)、源義家の奥州征伐の時、成田大夫助高は、当社に立ち寄って戦勝を祈願したという。

その由緒から、代々成田家の崇敬が篤く、現在の社務所の屋根瓦には○に一の成田家家紋も残っている。

江戸時代になり、旧社家の没落とともに別当天台宗東学院が管理するようになり、熊野三社大権現と称した。神紋の「八咫烏」は、この頃定まったとされる。

当時より節分の日の年越祭は盛大で、「権現様の豆蒔」などともいわれた。幕末の元治元年(1865年)に「旛羅郡總社」と書した幟旗が今に伝わる。

明治に入り、社名を復し、明治5年(1872年)、郷社に列した。大正12年(1923年)、県社に昇格した。大正2年(1913年)、中絶していた年越祭を再興した。

以来戦中戦後の一時期の中断はあったが、毎年当日は巨万の賽客で賑わい、追儺の神事や「おだまき」という伝来の花火などの行事が夜遅くまで続いたという。

現在は普通の花美で行われるが、3月3日の鎮火祭とともに、遠近からの参詣が多い有名な祭典になっている。例祭は10月30日で、浦安の舞・豊栄の舞の奉納がある。

楡材の鳥居扁額は佐々木文山による筆で、熊野三社大権現とある。海産天然石、長さ一尺一寸の石笛や、和琴とともに、市の文化財に指定されている。

本社後方に塚があり、これを犯すものに災害があるといわれ、「不入の地」となっているという。

境内社に、知々夫神社(八意思兼神・知々夫彦命)、伊奈利神社(豊受毘売命、大地主命・埴山毘咩命)、八阪神社(須佐之男命)、大雷神社(大雷神、伊邪那岐命・伊邪那美命)、手長神社(天手長男命)、大物主神社(三輪大物主命少彦名命)、天満天神社(菅原道真公、市杵島毘売命岩長比売命木花佐久夜毘咩命)、荒神社(火産霊命奥津比古命奥津比売命、御穂須々美命、天津児屋根命斎主命武甕槌命・比売命)がある。

なお、式内社「楡山神社」の論社は他に、熊谷市久保島の久保島大神社、熊谷市妻沼の大我井神社がある。

【ご利益】
子宝・安産、縁結び、火防(公式HP
榆山神社 埼玉県深谷市原郷
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