町名の起源、桓武帝の孫姫「宮目」が立ち寄った地、7月に神輿渡御
[住所]埼玉県南埼玉郡宮代町姫宮373
[電話]0480-33-2918

姫宮神社(ひめみやじんじゃ)は、埼玉県南埼玉郡宮代町姫宮にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

延喜式』巻9・10神名帳 東海道神 武蔵国 埼玉郡「宮目神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。

宮代町は昭和30年(1955年)に百間村と須賀村が合併してできた町。百間村の総鎮守である当社の「宮」と、須賀村の総鎮守である身代神社の「代」をとって町名となった。

当社の境内やその周辺には「姫宮神社古墳群」がある。明治35年(1902年)に当社境内に遷座した八幡社の近辺からは埴輪片が出土している。

創建について、社伝には、桓武天皇の孫の宮目姫が下総国へ下向の途中、当地に立ち寄った際、紅葉の美しさに見とれているうちににわかの病で倒れて息絶えてしまった。

後に、当地を訪れた慈覚大師円仁がこの話を聞き、姫の霊を祀ったのが起源だという。

御祭神は、多記理姫命市杵島姫命多記津姫命の3柱、いわゆる宗像三女神。「釈迦・文殊・普賢の三像を安ず」とある。

もともとは乳の出の悪い産婦に対する霊験があるとされ、神前にオサゴ(お饌米)を供え、代わりにすでに上がっているオサゴを持ち帰って粥にして食べたという。

社前に応永年間(1394年-1428年)の鰐口が掛けられていたとされるが、これは現在、別当であった宝性院(現 宝生院)に所蔵されている。

当社の本殿は、基壇に「正徳5年(1715年)4月吉日」の銘があり、拝殿は、海老虹梁に文久3年(1863年)の銘がある。それぞれ江戸時代中期と後期となる

拝殿内には絵馬が多数掲げられており、一部は町の文化財に指定されている。例祭は7月20日。その後の日曜日に夏祭りがある。

この夏祭りはもともと、例祭の翌日に天狗の扮装をした者と、獅子頭を被った者2名が地区を一軒ずつ回り、土足で家に上がり込んで、祓いを行う悪魔除けの行事だった。

昭和60年代(1985年-1989年)から神輿渡御が始まり、天狗も獅子も、この神輿渡御の行列に組み込まれるようになった。

先の八幡社の他、境内社に、稲荷神社(例祭:2月初午祭)、三峰神社(例祭:9月19日でお焚き上げ祭)がある。

境内には他に、正徳5年の力石二個、享保4年(1719年)の御手洗、天保12年(1814年)の「こまいぬ」などがある。

また、享保2年(1971年)の銘がある「ひしゃく」も残されている。

なお、式内社「宮目神社」の論社は他に、加須市騎西の玉敷神社の境内社である宮目神社、久喜市菖蒲町の神明神社、熊谷市高本の高城神社がある。

【ご利益】
子宝・安産・子育て、諸願成就
姫宮神社 埼玉県南埼玉郡宮代町姫宮
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姫宮神社 埼玉県南埼玉郡宮代町姫宮の御朱印