合祀・境内も含め式内5社、中世から近世は八幡宮、風土記記載社
美談神社 島根県出雲市美談町182
[住所]島根県出雲市美談町182
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美談神社(みたみじんじゃ)は、島根県出雲市美談町にある神社。御朱印の有無は不明。

『延喜式神名帳』にある「美談神社(出雲国・出雲郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では村社。

創祀年代は不詳。『出雲国風土記』にある「彌太彌社(弥太弥社)」に比定される。御祭神は、経津主命武甕槌命

鎌倉時代の建長年間(1249年-1256年)、出雲国守佐々木次郎左衛門泰清の七男広田頼清が八幡宮(息長足姫命)を勧請、合祀し、以後は正八幡宮と称した。

境内社に、式内社である県神社(天穂日命)がある。『出雲国風土記』に「阿我多社」とあり、もとは今在家の国長に鎮座していたが、寛永年間(1624年-1645年)の洪水で流失。

江戸時代中期の享保11年(1726年)になり、中田の地に再興した。

その際、『出雲国風土記』に「彌陀彌社(弥陀弥社)」とあり、式内社で、西谷の奥の鎮座し、若宮大明神と称した比売遅神社を合祀した。

さらにやはり式内社である和加布都努志神社(和加布都努志命)を合祀して、慶応3年(1867年)、当社境内に遷座した。和加布都努志命は所造天下大神の御子とされる。

その後、比売遅神社は当社本社に合祀された。当社も明治維新を機に、八幡宮から現社号に復称、明治5年(1872年)に村社に列した。

『出雲国風土記』にある「伊波社」あるいは「伊爾波社」に比定され、式内社で、もとは東谷に鎮座し、印場明神と称していた印波神社(天手力雄命太玉命)が、明治42年(1909年)、当社境内に遷座した。

『出雲国風土記』には、神祇官在籍の「彌太彌社」「彌陀彌社」があり、さらに神祇官不在の「彌陀彌社」が10社(あるいは12社)ある。

神祇官在籍の「彌太彌社」が当社、神祇官在籍の「彌陀彌社」が合祀の比売遅神社、神祇官不在の「彌陀彌社」はすべて境内末社の彌陀彌社二社(大山咋命木花咲耶姫命櫛御気野命・大地主命)に祀られているという。

境内には他に、小早川神社(小早川正平・隆景)がある。

【ご利益】
地域安全、地域振興、厄災除け
美談神社 島根県出雲市美談町
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