四国最大の大社「忌部神社」の旧地、吉良のエドヒガンは3月が見頃
御所神社 徳島県美馬郡つるぎ町貞光字吉良
[住所]徳島県美馬郡つるぎ町貞光字吉良
[電話]088-652-8892 - 忌部神社

御所神社(ごしょじんじゃ)は、徳島県美馬郡つるぎ町貞光吉良にある神社。御朱印の有無は不明。

延喜式』巻9・10神名帳 南海道神 阿波国 麻殖郡「忌部神社」に比定される式内社(名神大社・月次新嘗)の論社。近代社格は村社、一時国幣中社

創建は不詳。御祭神は天日鷲命で、忌部氏の祖神。当地の開拓神でもある。

式内社「忌部神社」は、代々、天皇即位の大礼である大嘗祭に穀・麻を織った荒妙御衣(あらたえみそ)を貢上したという。

古来阿波国の総鎮守として崇敬された。四国随一の格式の大社として四国一ノ宮と称せられた。

「忌部神社」の法楽として、法福寺が建立され、大社の東西にも東福寺、西福寺が建てられた。平安時代の安和2年(969年)、摂社末社に18坊が定められた。

後に、寺の一字に福をつけて忌部別当18坊とした。つまり、円福寺・浄福寺・悠福寺・金福寺・惣福寺・神福寺・冥福寺・地福寺・善福寺・安福寺・万福寺・福王寺・長福寺・福田寺・福満寺に法福寺・東福寺・西福寺。

中世以降の兵火、あるいは弾圧による社領の没収、御供料の廃絶により、社名の変更などが行われた。

江戸後期から明治にかけての式内比定論争において、式内社「忌部神社」は一大テーマの一つ。

山崎の忌部神社と長く論争が続いたが、明治14年(1881年)、美馬郡西端山吉良御所平をその社地と確定された。

これに山崎側が反発し、太政官は、その妥協策として、徳島市二軒屋町に社地を定める通達を出し、当地を旧社地として保存することになった。

その後、当社は徳島市の忌部神社の摂社となり、現在も鳥居の扁額には、「忌部奥社」とある。

境内には、吉良のエドヒガンがある。樹齢430年、幹回り4.5メートル。地上1.5メートルから大きく三つに分かれ、樹高はおよそ20メートル。

見頃は、3月下旬から4月上旬で、満天を薄紅色に染めたような美しい眺めを呈す。

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御所神社 徳島県美馬郡つるぎ町貞光
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