紀伊忌部氏の氏神、三祭で幣帛に預かった紀伊名神大社四社の一社
鳴神社 和歌山県和歌山市鳴神1089
[住所]和歌山県和歌山市鳴神1089
[電話]073-471-1457 - 竃山神社

鳴神社(なるじんじゃ)は、和歌山県和歌山市鳴神にある神社。御朱印の有無は不明。

延喜式』巻9・10神名帳 南海道神 紀伊国 名草郡「鳴神社」に比定される式内社(名神大社・月次相嘗新嘗)。近代社格では村社。

『紀伊名所図会』の引く社伝によれば、第6代孝安天皇の頃、名草郡の治水のために水門神である速秋津日古命を祀るよう託宣があり、それによって奉斎されたのが始まり。

社名「鳴」は、『紀伊続風土記』で「鳴水」「鳴滝」という谷から流れる水の意と推測されたように、川に関連したものとされる。

承平年間(931年-938年)の『和名類聚抄』では、名草郡の郷として「忌部(いんべ)」があり、当社南方の市内井辺(いんべ)付近に比定されている。

一帯は紀伊の忌部氏(紀伊忌部)の本貫地で、近辺にはその神戸があって、当社との関連がうかがわれることから、当社は紀伊忌部の氏神の可能性があるという。

『古語拾遺』では、紀伊忌部は彦狭知命の後裔であり、名草郡御木郷・麁香郷に居住して材木の貢納、宮殿・社殿造営を担ったと記されている。

国史では貞観元年(859年)に従五位下勲八等から従四位下勲八等の神階昇叙の記事がある。

当社は名神大社のみならず、月次祭・相嘗祭・新嘗祭で幣帛に預かっており、名神大社の多い紀伊国でも、この待遇は他に日前神社・国懸神社伊太祁曽神社の三社のみ。

『令集解』神祇令でも「日前・国県須・伊太祁曽・鳴神」として併称され、11月上卯の日の相嘗祭に際して奉幣社に列した旨の記載が見える。

永承3年(1048年)の収納米帳では、鳴神社田3段340歩が見える。また『紀伊国神名帳』では「正一位 鳴大神」と記載されている。

天正13年(1585年)、豊臣秀吉による紀州征伐で、太田城水攻めに際して、当社含め付近は大いに荒廃した。江戸時代中期の享保4年(1719年)に社殿が造営され、神田5反が寄進された。

明治6年(1873年)に村社に列し、明治40年(1907年)、近隣の式内社である堅真音神社/堅眞音神社・香都知神社が当社境内に遷座した。

現在までに、堅真音神社は市内神前に復興している。香都知神社の旧社地には逆松社がある。

現在の御祭神は、左殿に速秋津彦命速秋津姫命を祀り、右殿に忌部氏の祖神である天太玉命を祀る。

紀伊忌部氏の氏神のため、天太玉命を祀ったと考えられ、平成8年(1996年)に忌部氏の本拠地である奈良県橿原市忌部町の天太玉命神社から改めて御分霊を勧請した。

例祭は10月12日。節分にはお火焚祭がある。現在は竃山神社の兼務神社か。

他に境内社として、天照大神宮・春日社・夢神社・稲荷社がある。境外社として、当社の鳥居前に鎮座する鳴武神社がある。

鳴武神社は別称を「壺御前(つぼのごぜん)」、御祭神の鳴武大明神は百済の耆闍大王の第4王女であるといい、5世紀頃に百済から紀伊国に渡来して酒造を伝えたという。

なお、紀伊国で酒造に関する女神の伝承としては、伊都郡かつらぎ町三谷の丹生酒殿神社がある。

【ご利益】
地域安全、一族・子孫繁栄、五穀豊穣
鳴神社 和歌山県和歌山市鳴神
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