早くから理由があって名神に、7月例祭では夜通し久見神楽を奉納
[住所]島根県隠岐郡隠岐の島町久見字宮川原375
[電話]08512-5-2543

伊勢命神社(いせみことじんじゃ)は、島根県隠岐郡隠岐の島町久見宮川原にある神社。御朱印の有無は不明。

延喜式』巻9・10神名帳 山陰道神 隠岐国 隠地郡「伊勢命神社」に比定される式内社(名神大社)。近代社格では郷社。

社家の伝えによれば、伊勢族が隠岐島に来住した当初、毎夜に海上を照らしながらやって来る神火があった。

それが現鎮座地の南西5.5キロ隔たった字仮屋の地に留まるので、その地に小祠を建てて祖神である伊勢明神を勧請・奉斎した。

神火の出現も止み、その祠を後に現在地に遷座した。御祭神は伊勢命。記紀やほかに見えない、当社独自の神。

奈良時代、正倉院文書の天平4年(732年)『隠岐国正税帳』には、役道(穏地)郡の少領として磯部直万得という名が見える。

また、島前ではあるが平城宮出土木簡に知夫利評(ちぶりのこおり)の石部(いそべ)真佐支という名が見える。つまり、磯部。

磯部は、『古事記』応神天皇段に海部(あまべ)とともに設置されたと記す「伊勢部」のことと見られ、海部と同じく漁猟を職とする部民であった。

海部が西国を主に広く分布するのに対し、磯部(伊勢部)は伊勢を本拠地として東国を中心に広く分布したとされる。

また、伊勢の地名も「磯」に基づくものであるとされることから、磯部を介した伊勢との関係がうかがえる。

特に当社の鎮座する穏地郡の磯部氏が郡少領を務めるほどの有力者であったことから、当社の創祀には磯部氏を頂点とする海民の動きがあったものとも推定されている。

早くから中央に知られた神社で、『続日本後紀』嘉祥元年(848年)11月壬申(16日)条に、「しばしば霊験ある」によって「明神の例に預かる」とある。

六国史に名神大社列格の理由を明示する数少ない例。『延喜式』神名帳隠岐国四大社の一社だが、『隠岐国神名帳』穏地郡には見えない。

中世以降は武家によって崇敬され、寛正3年(1462年)、重栖清重による会串田という名の田地の寄進があった。

元亀元年(1570年)、隠岐国守護を称する佐々木為清が太刀1口を奉納、慶長12年(1607年)、松江藩主堀尾吉晴は山林を寄進した。

近世の社領地は石高2石であった。明治5年(1872年)、郷社に列し、戦後は神社本庁に参加している。

例祭は7月26日。島後久見神楽が夜を徹して奉納され、また隔年で神幸祭が行われる。神幸のある年を「本祭り」、ない年を「裏祭り」という。

祭日は明治以前は6月2日であったが、太陽暦施行後に7月16日に改め、更に現行日に改められた。久見神楽は国の選択無形民俗文化財、県の無形民俗文化財に指定されている。

本殿は天保12年(1841年)の造替にかかる隠岐造、屋根は昭和になって銅板葺とされた。他に拝殿や随神門、神楽殿などがある。本殿及び拝殿が町指定有形文化財。

【ご利益】
祈雨・天候、水難除け、海上安全、地域安全
伊勢命神社 島根県隠岐郡隠岐の島町久見宮川原
【関連記事】
名神大社とは? - 名神祭の対象となる神々、式内社の中でも特異、その細かな特徴は?
島根県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、島根県に鎮座している神社の一覧