もとは熊野の地に坐した熊野権現、江戸期に式内査定で現社号に
[住所]長崎県壱岐市芦辺町諸吉仲触81
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高御祖神社(たかみおやじんじゃ)は、長崎県壱岐市芦辺町諸吉仲触にある神社。御朱印の有無は不明。

延喜式』巻9・10神名帳 西海道神 壱岐国 壱岐郡「高御祖神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。

創建は不詳。御祭神は、何事にも其の本と坐ます大神として高皇産霊大神、夫婦和合・縁結び・子孫繁栄の神・安産の神として、伊邪那岐大神伊邪那美大神

相殿に天照皇大神を天日神命として、月讀大神を天月神命として祀る。一村一社の諸吉総氏神である。

もともとは今の村甲の地、熊本山に鎮座し、中世に現在地に遷座したという。もとは熊野三所大権現、熊野権現と称した。

国主松浦鎮信により、江戸時代前期の寛永20年(1643年)11月には宝殿が、寛文8年(1668年)11月には拝殿が再建された。

延宝年間(1673年-1681年)に式内社に査定されて現社号に改称した。平戸藩主が一貫して崇敬した神社である。

大祭に際しては神幸式、流鏑馬の神事が馬廻りの武士の代参のもと執行された、壱岐の神社十七社の一つ。

天保8年(1838年)8月、肥前国平戸藩10代藩主松浦熈が拝殿を再建。社殿の再建ごとに国主から白銀5枚の奉納があった。

明治になり、村社に列し、大正14年(1925年)1月、神饌幣帛料供進神社に指定せれた。

例祭は旧暦9月14日・15日。14日には神楽奉納、15日には以前は国司代参による奉幣の儀があり、相撲・田楽・流鏑馬なども行われたという。

諸吉郷中より、また芦辺浦より、壱岐最大の御幟・御神幸があり、芦辺囃子が奉納される。

当社は、やはり式内社の兵主神社などを兼務している。

なお、式内社「高御祖神社」の論社は他に、箱崎八幡神社がある。

【ご利益】
事業成功、学業・受験合格、夫婦和合、家内安全
高御祖神社 長崎県壱岐市芦辺町諸吉仲触
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