航空神社、当地の産土神、成田空港至近、職務質問を覚悟すべき神社
[住所]千葉県成田市東峰
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東峰神社(とうほうじんじゃ)は、千葉県成田市東峰にある神社。御朱印の有無は不明。

もともとは民間航空のパイオニアであった伊藤音次郎が昭和12年(1937年)、津田沼町(現 習志野市)の伊藤飛行機研究所内に空難者を祀るために建立した神社。

航空神社と称したが、戦後音次郎が当地区に入植して農場主になると、昭和28年(1953年)11月23日、航空神社も移設・遷座し、現社号に改称した。

当地区は戦後に入植、農地開発が行なわれた地域で、当時この地区には神社がなかったため、以降当社は開拓集落の産土神となり、当地区住民から信仰されるようになった。

勤労の神とされる二宮尊徳を御祭神としている。建造物としては比較的新しい石鳥居一基と石灯籠二基が配されてはいるが、1.5メートル四方ほどの小さな木造の祠があるだけ。

境内の祠横には手水舎があり、石製の手水鉢もあるが、水は無いため手口を清めることはできない。また賽銭箱もない。例祭は11月23日。

成田空港の空港B滑走路南端付近に位置する。神社の敷地は成田空港の敷地に周りを取り囲まれている。

そのため、神社へ続く道および境内の周囲にはアイボリーに塗装された高いスチール製の塀が二重に張り巡らされている。

塀上部には有刺鉄線とともに数メートルから数十メートルおきに人感センサーが設置されている。

また塀内には監視小屋も設置されており、常時警備員が境内を監視している。塀には所々網目状になっている箇所があり、空港敷地側から境内が監視しやすいようになっている。

神社の敷地を取り囲むように空港内道路が敷かれており、定期的にNAAパトロール車による巡回が行われている。

境内敷地は、建立時より実質的に集落住民による共有地とされてきたが、平成13年(2001年)に登記上の所有者から新東京国際空港公団(現 成田国際空港株式会社)への所有権移転手続が行なわれた。

その後、空港公団により、航空機の飛行の障害となる境内の樹木の伐採が行なわれた。

これに反対する当地区住民が空港公団を提訴、この裁判に対して運動団体関係者などが積極的な支援を行ない、空港反対運動の「闘争の象徴」とした。

平成15年(2003年)に土地登記名義の回復を内容とする和解が成立した。

当地区は、全国的にも激しいことで知られる成田空港建設反対運動の中でも、特に、B滑走路延伸計画などにともない近年まで反対運動が活発に行われていた。

一部過激派などによる空港施設や敷地への破壊工作や不審者接近を防ぐため、非常に多数の制服、私服警官が常時付近を巡回している。

そのため、当社への訪問者はたびたび職務質問を受けることとなることで知られる。参拝に当たっては身分証を携帯して訪れるなどの注意を要する。

現在も依然監視体制は布かれているものの、以前のような職務質問を受けるようなことはほとんどなくなり、誰でも気軽に参拝または飛行機の離着陸を観ることができるようになったという。

【ご利益】
空難除け、地域安全、地域振興、学業・受験合格
東峰神社 千葉県成田市東峰
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