宮中の四方の門を固める櫛石窓神・豊石窓神の2柱の神、計8座
御門巫祭神八座 いわゆる天石門別神。写真は、主神として2柱を祀る櫛石窓神社の本殿
[住所]東京都千代田区千代田1-1
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御門巫祭神八座(みかどのみかんなぎさいじんはちざ)は、『延喜式』巻9・10神名帳 宮中京中 宮中坐神 神祇官西院坐御巫等祭神「御門巫祭神八座」に比定される式内社(大社、月次新嘗)である。

また、『延喜式』祝詞にも記載されている。

「みかどのみかんなぎのまつるかみはちざ」とも。四方の御門、すなわち東方建春門、南方建礼門、西方宜秋門、北方朔平門に鎮座した神々。実際には、下記の通り2柱。

・櫛石窓神(くしいわまどのかみ) 四面門各一座
・豊石窓神(とよいわまどのかみ) 四面門各一座

『古事記』には、天石門別神の別名として、上記の二つの神名が登場する。天石門別神という1柱ではなく、櫛石窓神・豊石窓神の2柱の神として理解することが多い。

当8柱は、平常の祭りは門で行った形跡はなく、神祇官西院の北庁で行われた。

神祇官西院では、最重要視される大御巫8神は八神殿に東向きで祀られていたが、他の座摩巫5柱・当8柱・生島巫2神は北庁内に南向きで祀られた。

現在も、各地の神社の楼門や神門の左右に、弓矢を持った神の像が安置され、場合によっては、左大臣・右大臣と呼ばれている、その宮中版と考えられる。

伊勢の神宮(伊勢神宮)では、皇大神宮(内宮)と豊受大神宮(外宮)にそれぞれ所管社として四至神を祀る。内宮の神域内外宮の神域内に鎮座している。

四至神は小さな自然石とされ、当8柱もそれに似た形で祀っていたとされる。

当8柱含む神祇官の祭祀は、中世には衰退するが、南北朝時代までは古代の形が維持された。しかし、その後応仁の乱頃までには完全に廃絶したとされる。

同じく衰退し、明治になり復興した八神殿が、天神地祇などを合祀して「神殿」となった際、その天神地祇には当8柱も含まれているとされる。

であれば、当8柱は現在、皇居の宮中三殿の一つ神殿に継承されていることになる。

先述の通り、門の神であり、多くの神社で明示されずとも祀られることが多い櫛石窓神・豊石窓神の2柱だが、これを主祭神として祀る神社に、兵庫県篠山市の櫛石窓神社などがある。

【ご利益】
天皇陛下の宮居の門の守護神
御門巫祭神八座 いわゆる天石門別神
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『延喜式神名帳』神祇官西院23座の同心円構造
・天皇の身体 御巫等祭神八座
・宮殿の敷地 座摩巫祭神五座
・門の守護神 御門巫祭神八座
・国土の神霊 生嶋巫祭神二座