10月に土下座祭りとも呼ばれる御神幸大名行列、どぶろくの振る舞い
[住所]岡山県新見市新見1781
[電話]0867-72-2631

船川八幡宮(ふなかわはちまんぐう)は、岡山県新見市新見にある神社。近代社格では県社御朱印の有無は不明。

平安時代後期の天永年間(1110年-1113年)、京都山城国男山八幡宮(石清水八幡宮)に総代を派遣し、新見村今市(現 新見宮地町)へ勧請し、惣社として創建された。

御祭神は誉田別尊。室町時代の応永17年(1410年)11月7日、社殿が炎上し、各書記、古文書、刀剣類、重宝など全て焼失した。応永21年(1414年)3月、社殿が再建された。

戦国時代の永禄年間(1558年-1570年)、新見村鳶ヶ巣城主徳光兵庫頭が、氏神として崇敬していた。

徳光兵庫頭は、神夢の啓示により、備中松山(高梁市)へ舟路を開鑿し、舟揖の便を得たのを感謝して、舩川の山号を奉り、舩川八幡宮と号した。

この際、濁酒(どぶろく)献供を定め、田地2反8畝歩を神領としたのが、どぶろく醸造の始まりとされている。以来、歴代領主から代々寄進米を受け、この伝統行事は継承されてきた。

初代新見藩主関長治は、正徳5年(1715年)9月13日、今市から明月山に遷座し、藩の守護神と崇め、領内23村の総鎮守とした。

また、現在10月15日となっている秋季大祭の御神幸大名行列とともに、どぶろく醸造の行事を確立、特に例大祭には、藩主が参座して領民の安穏、五穀豊穣を祈念したという。

御神幸の時は、藩主入国の行列儀式にのっとり、藩士を差し向け厳粛に神輿の前衛として奉仕させたのが御神幸武器行列の始まりで、現在も往時の仕来りを、忠実に継承している。

明治4年(1871年)9月、郷社に列して、舩川八幡神社と改称、明治40年(1907年)1月27日、神饌幣帛料供進神社に指定された。

昭和13年(1938年)4月15日、新見町大火災によって社殿などことごとく焼失した。終戦後の昭和21年(1946年)1月10日、県社に昇格した。近代社格制度廃止直前のことである。

昭和22年(1947年)4月、約10年を費やした社殿再建事業が完成。平成3年(1991年)2月15日、「舩川」の字を「船川」とし、八幡神社から八幡宮へ、現社号に改称した。

例祭は10月15日。土下座祭りとも呼ばれる御神幸大名行列と、濁酒醸造行事は市の無形民俗文化財に指定されている。

どぶろく醸造は9月中旬から境内の酒造殿で始められ、ちょうど飲み頃となる3週間から4週間目の例大祭において参拝客に振る舞われる、いわゆるどぶろく祭り

【ご利益】
厄災除け、五穀豊穣、事業成功、武運長久・勝運、酒造
船川八幡宮 岡山県新見市新見
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