源頼政が鵺を退治した地、矢尻の血を洗い流した鵺池、式内社旧地
[住所]京都府京都市上京区主税町964
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鵺大明神(ぬえだいみょうじん)は、京都府京都市上京区主税町にある神社。御朱印の有無は不明。

延喜式』巻9・10神名帳 宮中京中 宮中坐神 神祇官西院坐御巫等祭神「御巫等祭神八座(大社、月次新嘗)」の「大宮売神」に比定される式内社(大社)。

平安時代後期の仁平年間(1151年-1154年)、第76代近衛天皇を苦しめた鵺(ぬえ)という怪鳥を、弓の名手である源頼政が退治したという伝承がある。

鵺は、頭が猿、胴体は狸、手足は虎、尾は蛇という妖怪で、夜になるとトラツグミのような不吉な声で鳴いた。

毎夜、丑の刻になると御所に飛来したため、天皇は病になった。そこで頼政が鵺退治のために呼ばれた。

頼政は破魔の鏑矢を用意し、従者の猪早太を連れて御所に出かけ、これを見事に射落とした。地面に落ちた鵺を猪早太は刀で止めを刺した。

鵺の遺骸は空穂船に乗せられ、鴨川に流された。その後、天皇の病は回復したという。その鵺が落ちた地点に祠が建てられた。

また、頼政は鵺退治後に、近くの池で矢尻の血を洗ったという。それが当社の近くにある鵺池。

第78代二条天皇の応保年間(1161年-1163年)、あるいは第80代高倉天皇(1168年-1180年)の頃にも禁中に鵺が出没し、頼政が召し出され再び退治したという。

妖怪などいるはずがないので、鵺の正体は、本当にトラツグミという鳥だった、とされる場合があるが、昔のこととはいえ、鳥程度で天皇が病に倒れるとは思えない。

実際に「怪異」があったと考えた方が現実的。おそらくは、官位五位以下の人であって人とはみなされなかった者たちの暗躍か、正当な戦いだったのかもしれない。

また、ただの鳥であれば、今日まで丁重に祀られている訳もない。今でいう人を殺した、しかも理由に何らかの後ろめたさのある殺人だった、のだろう。

現在の当社は、実際には昭和に入ってから建立されたもの。御祭神は、鵺大明神・玉姫大明神・朝日大明神だという。

しかし、当地はもともと大宮姫命稲荷神社の旧地だったという説がある。

大宮姫命稲荷神社が『延喜式』神名帳筆頭の御巫等祭神八座の1柱である大宮売神の名跡を伝えるとされているため、当社そのもの、というよりも、この地が式内社旧地となる。

大宮姫命稲荷神社がいつ現在地、といっても、当社の至近ではあるが、そこに遷座したのかは不明であるが、当社の建立に先だって、ずっと何らかの祭祀が行われていたのは間違いなさそうだ。

ちなみに当社は、式内社うんぬんよりは、心霊スポットとして知る人ぞ知る地となっている。現代人としても、頼政の武勇よりは、鵺の怨霊の方が気になるらしい。

なお、頼政の鵺退治に関する伝承は、下京区綾小路通の神明神社にも伝えられている。

【ご利益】
諸願成就
鵺大明神 京都府京都市上京区主税町
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