日本武尊が祈願、平将門や崇敬した妙見信仰、1月にオビシャ
[住所]千葉県我孫子市柴崎737
[電話]04-7182-4815

柴崎神社(しばさきじんじゃ)は、千葉県我孫子市柴崎にある神社。近代社格では村社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

創建は不詳だが、日本武尊が東征の時、武運長久を祈願し、住民が軍旅をねぎらったと伝わる。妙見信仰の社だったと考えられる。

平安時代には平将門の祈願所となったと伝わる。その臣である柴崎左馬督による修復があったという。

乱の際、柴崎左馬督は当地まで落ちのびたが発見され、殺されたという。その首塚が当社の近くに「柴崎さま」として鎮座している。

将門の敗死以降衰微したが、間もなく将門を祖とする相馬一門の守護神とされた。境内では鎌倉時代の永仁6年(1298年)銘の板碑の断片が発見されている。

戦国時代の弘治3年(1557年)、相馬五郎重胤は常陸国行方郡大田に移った際、当社の分社を奉斎したという。

永禄4年(1561年)、柴崎城主荒木三河守が社殿を修復し、天正元年(1573年)には太刀を奉納した。

江戸時代になって、寛文5年(1665年)に当地を加給された旗本初鹿野伝右衛門が大身鎗を奉納。寛文11年(1671年)、当地知行となった新見弥一郎正徳が弓一張を進献した。

なお、新見家は源義家の後裔といわれ、境内の御墓山はもとその墓所だった。江戸期には妙見社、羽黒社などと称され、柴崎村の鎮守だった。

明治維新になり、社名は北星社と改められたが、さらに明治13年(1880年)には現社号に改称した。御祭神は天御中主命となる。

間口3間 奥行2間3尺の社殿は、明治35年(1902年)に暴風で大木が倒れかかって損壊。

明治39年 (1906年)には神饌幣帛料供進社に指定され、明治41年(1908年)には間口2間 奥行1間半の本殿と間口4間1尺 奥行2間3尺の拝殿が再建された。

この社殿は、昭和24年(1949年)に瓦の葺替えが行われるなど、維持されてきたが、老朽化が進んだため、昭和62年(1987年)に現社殿を新築した。

1月第3日曜日にオビシャが執り行われる。五穀豊穣、家内安全などを祈願して、弓で的を狙い、矢を射る事によって吉凶を占う神事。

現在は相殿に、素戔嗚尊蒼稲魂命を祀り、日本武尊・別雷命・金山彦命大山咋命を配祀する。

境内社に、北野天満天神・八坂・香取神社・水神宮、三峰社、八幡社がある。

【ご利益】
五穀豊穣、家内安全、地域安全
柴崎神社 千葉県我孫子市柴崎
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