崇神朝に稲荷神を勧請、室町期に畠山満則の崇敬を受けた式内古社
神代神社 石川県羽咋郡志賀町神代コ1
[住所]石川県羽咋郡志賀町神代コ1
[電話]0767-32-0123

神代神社(かみしろじんじゃ)は、石川県羽咋郡志賀町神代にある神社。御朱印の有無は不明。

『延喜式神名帳』にある「神代神社(能登国・羽咋郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では郷社。

米町川の下流沿岸に鎮座する。地名の神代は「かくみ」と読まれる。そのため、当社も「かくみじんじゃ」と呼ばれることが多い。

第10代崇神天皇の御宇、宇迦之魂神を勧請して奉斎する。いわゆる稲荷神。往古より勅願所として奉幣されることが多かったという。

平安時代の嘉祥8年(850年)8月より、国内諸神とともに班幣を受け、仁寿元年(851年)正月に正六位上に叙された。

康和5年(1103年)6月10日、神祇官御卜奏に「坐能登国。気多神。神代神。云々社司等。依過穢神事崇給。遣使科中祓可令祓清奉仕事」とある。

大げさに言えば、氣多大社と同列に扱われていることが分かる。南北朝時代の永徳年間(1381年-1384年)には従三位に達した。

室町時代の武将で、能登守護や能登守護職を務めた畠山満則(1372年-1432年)の崇敬厚く、神領や宝物の寄進が相次いだという。

しかし、これらの宝物は後年の火災により、ことごとく焼失したという。

古来より、この地は神代の宮坂と称し、眺望に富み、神代八景として、文人墨客が多く来訪したという。

明治の初め、旧加賀藩士で、氣多大社宮司加藤里路が、地元の歌人河崎公平、桜井格堂、渡辺隆などと当社境内の葛舎亭に登り、眼下の風景を眺めながら歌会を開いた。

明治5年(1872年)、郷社に列し、明治14年(1881年)10月には本殿を再建。明治41年(1908年)には境内社の琴平神社(大物主神・崇徳天皇)に奥宮社を合祀した。

昭和63年(1988年)、琴平神社を本社に合祀。平成元年(1989年)6月には拝殿を再建した。

なお、兼務神社に、式内論社とされる八千鉾神社などがある。

【ご利益】
五穀豊穣、地域安全、水難除け
神代神社 石川県羽咋郡志賀町神代
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