七尾湾の門神? 旧社地では今も夫婦石まつり、気多の鵜祭に関連
御門主比古神社 石川県羽咋市大町リ42
[住所]石川県羽咋市大町リ42
[電話]0767-22-0817 - 羽咋神社

御門主比古神社(みかどぬしひこじんじゃ)は、石川県羽咋市大町にある神社。御朱印の有無は不明。

『延喜式神名帳』にある「御門主比古神社(能登国・能登郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では村社。

主祭神は、御門主比古神。天照大神豊受大神中筒男命を配祀するとも、櫛八玉神を合祀するとも。

もとは現社地の東南方約3キロの石動山連峰の宮山の北谷の山中に鎮座したが、山崩れのため、平野部の現在地に遷座した。

旧社地と伝える宮山には夫婦石がある。つまり御門石と呼ばれる巨大な神石と、近くに女石及び子石がある。

現在も、夫婦石まつり、正式には「御門石祭」が開催され、神仏習合を色濃く残した雨乞いの儀式などが行われる。市の文化財に指定されている。

伝承によると、能登国一宮である氣多大社の御祭神大己貴命が天下巡行の時、能登の妖魔退治のため、高志の北島から神門島(鹿渡島)に渡ってきた。

その時、当地の御門主比古神が、鵜を捕らえて大己貴命に献上、あるいは、櫛八玉神が御門主比古神と謀って鵜に化け、魚をとって、大己貴命に献上したという。

この故事にちなみ、当地の鵜捕部と称する人々が、鵜浦で捕らえた鵜を氣多大社へ献上する神事として、鵜祭が行われたという。今の「気多の鵜祭の習俗」である。

創建は不詳だが、大宝年間(701年-704年)に文武天皇の勅があり、枡1個が当社に献納されたという。この桝は現存し、現在は当社宝になっている。

往古は神領多く、郷内の大社で、奈良時代作と伝わる狛犬、伝来の大弊金弊がある。

阿於谷にあった阿於社、阿於大明神(櫛八玉神)を合祀したため、江戸時代には、御門主比古神社阿於大明神と併称され、あるいは御門主六所大明神とも。

また、近世には櫛磐窓神・豊磐窓神と一緒に祀られており、七尾湾の入口を護る門神だったのではないかとの指摘もある。

明治39年(1906年)、神饌幣帛料供進神社に指定された。例祭は、5月3日が春季定祭、11月3日が秋季定祭。

当社付近、現在の羽咋市大町ヌ23に鎮座していた式内社である餘喜比古神社(余喜比古神社)を合祀した。

なお、当社について、石川県神社庁のサイトでは羽咋神社が兼務している、とあるが、餘喜比古神社については、中能登町の宿那彦神像石神社の兼務神社としている。

また、当社の境内案内では、宿那彦神像石神社の宮司名が記載されている。石川県神社庁の羽咋神社兼務が正しいかどうかは不明。

式内社「餘喜比古神社」について、一時期、中能登町の能登部神社が論社と主張していたことがあったという。

【ご利益】
海上安全、水難除け、五穀豊穣、大漁満足
御門主比古神社 石川県羽咋市大町
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