大己貴命と少彦名命に協力した能登の神、その裔が今も神主家
能登生国玉比古神社 石川県鹿島郡中能登町金丸セ35
[住所]石川県鹿島郡中能登町金丸セ35
[電話]0767-72-3376 - 宿那彦神像石神社

能登生国玉比古神社 (のといくくにたまひこじんじゃ、能登生國玉比古神社)は、石川県鹿島郡中能登町金丸にある神社。御朱印の有無は不明。現在は、宿那彦神像石神社の兼務神社である。

『延喜式神名帳』にある「能登生国玉比古神社(能登国・能登郡)」に比定される式内社の論社。近代社格では郷社。

御祭神は、石川県神社庁によれば、多気倉長命・市杵嶋姫命少彦名命。社前石碑によれば、さらに事代主命菅原道真を祀る。

神代、能登国を巡行した大己貴命と少彦名命は、多気倉長命の協力を得て、国土を平定したと伝わる。その神功を称え、能登の国魂の神と仰がれた。

その姫神が市杵嶋姫命で、またの名を伊豆目比売命といい、少彦名命の妃となって、菅根彦命を産んだという。

ちなみに、宗像三女神の1柱である市杵嶋姫命が少彦名命やほかの神と結婚したという記述は、『古事記』にはなく、『古事記』によれば、宗像三女神の多紀理毘売命が、大己貴命と結婚した。

ともかく、この菅根彦命が、金鋺翁菅根彦命と呼ばれ、金丸村村主の遠祖であり、当社及び宿那彦神像石神社の神主である梶井氏はその裔である。

第10代崇神天皇10年、四道将軍の大彦命が、北陸道平定の際、当社に神宝を奉ったという。現在も社宝として、鉄の古鏡がある。

飛鳥時代の白雉元年(650年)、證治行者が当社に参籠し、神勅により菅生山任冬寺を築いたという。

能登という国名は、この周辺の地から始まったといわれる。多気倉長命の神名は、能登国一宮である氣多大社を連想させる。

由緒から見れば、御祭神に大己貴命が含まれていないのは収まりが悪く、多気倉長命=大己貴命とも考えられる。

社宝として他に、承応2年(1653年)縁起、寛政9年(1797年)縁起が伝わる。

式内社「能登生国玉比古神社」の論社は他に、七尾市所口町の気多本宮と、中能登町能登部上の能登部神社がある。

【ご利益】
地域安全、地域振興、良縁・縁結び、子宝
能登生国玉比古神社  石川県鹿島郡中能登町金丸
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