クヌギが繁茂した津の櫟津稲荷大明神、10月に11台の新居浜型太鼓台を奉納
[住所]愛媛県西条市下島山甲1883
[電話]0897-55-2954

飯積神社(いいづみじんじゃ)は、愛媛県西条市下島山にある神社。近代社格では郷社。御朱印の有無は不明。

御祭神は、飯積大明神こと倉稲魂命を主神に、国魂愛比売・十城別王・足仲彦尊気長足姫尊を併せた5柱。

上古に、伊曽乃神社の御祭神である武国凝別命の孫・十城別王が、食物の神である倉稲魂命を奉斎、また、先住民が祀ってきた国魂愛比売を併せて祀ったのが起源。

十城別王については、日本武尊の子とされる場合もある。武国凝別命と日本武尊は父を第12代景行天皇とする異母兄弟の関係。

道後の出湯に来訪した第14代仲哀天皇と神功皇后が現在地である島山に立ち寄り、御神木のクヌギ(櫟)で笏を作り、鎮魂祭を執行した。

その時の神楽歌が「島山に櫟たかまき うつみさし 仕えまつるは おほい公達」である。

古くは津神社(いちいづじんじゃ)と呼ばれた。

往古は櫟津稲荷大明神として信仰され、大生院・半田・上島山・下島山・船屋を含む島山郷の人々の農耕を守護する神として祀られた。

なお社地を櫟津岡といい、古代より、この岡にクヌギが繁茂していること、昔は海水が岡のあたりをめぐり、船着き場(津)を形成していたことに由来する。

『万葉集』巻16に長忌寸意麻呂の古歌「さし鍋に湯沸かせ子ども 櫟津の 檜橋より来む 狐に浴むさむ」があり、現在、当社境内南側に歌碑が建立されている。

戦国時代の天正13年(1585年)、羽柴秀吉の命を受けた小早川隆景の四国攻めによる戦火、また安政年間(1855年-1860年)の火事により、社殿および社宝が焼失。

本殿は安政4年(1857年)の完成。千木・勝男木なしの桧皮葺三間社流造り、棟には五三桐紋。

明治5年(1872年)、郷社に列した。現在の拝殿は平成13年(2001年)に新しく改築されたもの。

例祭は10月17日で神幸祭。前日16日が宵宮で、11台の新居浜型太鼓台が氏子により奉納される。

かつては旧暦9月15日・16日に行われ、伊曽乃神社の14日・15日に続いて執り行われていた。現在も伊曽乃神社に続いて神幸祭がある。

17日は早朝の宮出し後、順次4か所で「かきくらべ」が行われる。太陽の光で輝く金糸の刺繍飾りと激しく揺れる生絹の房は、太鼓台の勇壮な動きに映える。

境内末社に、天神社・新宮社・大先神社・社日社・素鵞神社がある。

【ご利益】
五穀豊穣・商売繁盛、安産、諸願成就
飯積神社 - クヌギが繁茂した津の櫟津稲荷大明神、10月に11台の新居浜型太鼓台を奉納
【関連記事】
愛媛県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、愛媛県に鎮座している神社の一覧