大分市の西寒多神社の元宮とも、臼杵・豊後大野の境に鎮座する鎮国一宮
西寒田神社(臼杵市野津町西寒田・豊後大野市犬飼町西寒田)
[住所]大分県臼杵市野津町西寒田神尾392(豊後大野市犬飼町西寒田)
[電話]-

西寒田神社(ささむたじんじゃ)は、大分県臼杵市と豊後大野市の境、両市に存在する西寒田地区にある神社。御朱印の有無は不明。

延喜式』巻9・10神名帳 西海道神 豊後国 大分郡「西寒多神社」に比定される式内社(大社)の論社。近代社格では村社。

地区名通り、西寒田神社とされるが、地図やその他の資料では、式内社名でもある西寒多神社と表記される場合がある。

主祭神は八幡大神。軻遇突智命・迦具土神・少彦名命伊邪那美命菅原神を合祀している。八幡大神は筥崎宮の御祭神と同神とされる。

創建は不詳。室町時代の応永15年(1408年)、大友親世により当地から大分市寒田の地に奉遷したとある。

つまり、式内社「西寒多神社」の有力論社で、豊後国一宮である西寒多神社の元宮ともされる。

『太宰管内志』には、『延喜式神名帳』は実は「大野郡西寒多神社」とあり、当社のことであるとしている。

『龜山隨筆』にも「西寒多神社は初め、大野郡野津ノ荘寒田村」に鎮座していたことが記されている。

ただし、他の写本において、式内社「西寒多神社」はすべて大分郡であり、現在は当社を式内社とすることに否定的な意見が優勢。

中世、社運が衰えたが、江戸時代になり、臼杵藩の崇敬を受け、延享年間(1744年-1748年)に鶴峰但馬を神職としたという。

江戸時代後期の文化9年(1812年)、白川神祇伯から「鎮国一宮」号が授与された。現在も、鳥居の扁額にかかる。

当社近辺の住民によれば、これは豊後国一宮のことであるという。ともかく、この文化9年に臼杵藩が11月10日の祭礼を復し、岡藩などの領民も参加したという。

文化12年(1815年)から社殿の整備が進められ、文化14年(1817年)には神道長上より現社号が授与された。文政元年(1818年)、拝殿・鳥居・廻廊が造営された。

明治6年(1873年)、村社に列する。昭和15年(1940年)には社格昇格運動が始まったが、終戦を迎え、実現できなかった。

例祭は10月第3日曜日。

【ご利益】
厄災除け、安産、火防
西寒田神社 - 大分市の西寒多神社の元宮とも、臼杵・豊後大野の境に鎮座する鎮国一宮
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