平家落人伝説「六騎」、今も落人平家の血筋が続く、室町期に伊勢を勧請
矢留大神宮(福岡県柳川市矢留町25)
[住所]福岡県柳川市矢留町25
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矢留大神宮(やどみだいじんぐう)は、福岡県柳川市矢留町にある神社。神明神社の一つ。近代社格では村社。御朱印の有無は不明。

元暦2年(1185年)、壇ノ浦で敗れた平家の落人の一部は、肥後路へ逃避した。

しかし、源氏の追及は厳しく、難波善長・加藤権内・浦川天ヶ左衛門・鳴神藤助・是永多七・若宮兵七の落武者6名は、柳川沖端に移り住み、漁業を始めた。

それぞれ、平益信・平正勝・平高矩・平親英・平政直・平清貞とされ、当地では6名の騎馬武者の意味で「六騎」と称され、その末裔もその名を引き継いだ。

江戸時代の元和6年(1620年)、立花宗茂が柳川城に復帰すると、六騎は有明海の漁業権を得て活動し、沖端漁業の基礎を築いた。現在、当地では漁業者のことも「六騎」と呼ぶという。

それよりも遡り、室町時代。産土神を祀る必要がある、それがないのを嘆いた六騎の一人、あるいは二人が伊勢の神宮(伊勢神宮)に参り、半鏡を授かった。

するとも間もなく、この矢留の地からも半鏡が発見されたので、伊勢から授かった半鏡とつなぎ合せてみると、不思議なことに一致した。

この奇跡によって、天照大神を奉祀したのが当宮の創祀で、応永2年(1395年)11月15日のことだったという。

異説として、貞応年間(1222年-1224年)、産神を得て宮殿を造営することを望んだ六騎の一人が霊夢を見て、地を掘って半鐘を得たことにより創祀したとも伝わる。

境内にはお手洗い場がある。これは応永2年の創祀にあわせて造営されたもので、両側の板張に脱衣して、川の清水にて身を清めたもの。都度修復を行い現存しているという。

明治30年(1897年)10月17日から3日間、鎮座500年大祭が斎行されたが、これにあわせて、六騎の霊を祀る六騎神社が境内に創建された。

現在は、六騎・矢留大神宮とも称される。

【ご利益】
大漁満足、開運招福、一族・子孫繁栄
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