仲哀天皇崩御の地、神功皇后が御魂代の石を奉斎して三韓征伐を成功
御勢大霊石神社(福岡県小郡市大保1033)
[住所]福岡県小郡市大保1033
[電話]0942-76-3350

御勢大霊石神社(みせたいれいせきじんじゃ)は、福岡県小郡市大保にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

延喜式』巻9・10神名帳 西海道神 筑後国 御原郡「御勢大靈石神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では県社

伝承によると、第14代仲哀天皇が熊襲征伐に際して、行宮を当地に設けたという。しかし天皇が戦線を巡視した時に毒矢に当たり、当地で崩御した。

神功皇后は兵士の士気の衰えることを恐れて喪を秘し、熊襲征伐の後、香椎宮で発喪したという。

その後、神功皇后の三韓征伐にあたっては、御魂代の石を軍船にのせ仲哀天皇の鎧と兜を着せて、征途についた。

戦勝後凱旋すると、その石を天皇の御魂代として、また朝鮮半島を守る不動石として祀ったと伝えられている。

現在、社前にある石がこれで、御勢大霊石といわれている。また、社前の立石の場所が天皇殯葬の地といわれている。

「勢(せ)」とは「夫(せ)」の意味で、皇后が天皇を呼ぶ時の呼称。

以上により、創建は神功皇后2年とされる。御原郡19ヶ村の産土神で、造営は御原郡・御井郡の両郡でとり行われた。

主祭神は仲哀天皇で、天照大神八幡大神・春日大神・吉富大神を配祀する。

飛鳥時代の第29代欽明天皇9年(548年)、白鳳9年(669年)に社殿が造営されたという。

平安時代の寛平3年(891年)、天永3年(1112年)、安元2年(1176年)にも再興された。

室町時代の文明2年(1470年)には筑紫興門が再興されるが、戦国時代の天正14年(1586年)に戦火に遭って炎上、焼失した。

その3年後の天正17年(1589年)3月に宝殿・拝殿・仮殿が再建された。

江戸時代になっても、慶長18年(1613年)8月、寛永9年(1632年)正月、天和2年(1682年)3月、元禄8年(1695年)6月に社殿の造営がなされている。

明治6年(1873年)5月、あるいは明治29年(1896年)とも、県社となった。例祭は12月14日。2月6日に粥占い祭、4月15日に石祭がある。

境内末社に、粟島神社(少彦名命)、成末神社(御勢大霊石大神荒御魂)、秋葉神社(火之加冥土神)、牛天神社(保食大神)、恵比須神社、猿田彦神社がある。

境外末社に白鳥神社があり、仲哀天皇の父である日本武尊を祀る。勅使下向の折に招請の御館を造った勅使御館之跡がある。

【ご利益】
諸願成就、武運長久・勝運、夫婦和合
御勢大霊石神社 - 仲哀天皇崩御の地、神功皇后が御魂代の石を奉斎して三韓征伐を成功
【関連記事】
福岡県の旧県社 | 府県社とは? - 旧県社(縣社)・旧府社、その都道府県の中で有力な神社
福岡県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、福岡県に鎮座している神社の一覧
御勢大霊石神社の御朱印