秀吉の奥州仕置で塩浪館が落城し現在地に遷座、元旦に願い花火打上奉納
大衡八幡神社(宮城県黒川郡大衡村大衡字八幡50)
[住所]宮城県黒川郡大衡村大衡字八幡50
[電話]022-345-4457

大衡八幡神社(おおひらはちまんじんじゃ)は、宮城県黒川郡大衡村大衡にある神社。近代社格では村社。別名は塩浪八幡神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

『封内風土記』によれば、天文13年(1544年)、宮城県黒川郡下草を治めていた黒川景氏の次子である治部大輔宗氏が塩浪館(越路館)を築城した。

本丸内の鎮守として八幡大神を勧請し、天正18年(1590年)、豊臣秀吉の奥州仕置により、塩浪館が落城したため、現在の社地に遷座したと伝わる。

昭和57年(1982年)7月発行の『大衡村村誌』によれば、安永年間(1772年-1781年)、別当三明院秀坊の時に無住となったという。

その間、御神体は地主である横橋忠三郎が40年あまり保管し、文政元年(1818年)、良覚院弟徒の三明院正善が再興し、御神体を復旧したという。

社家の記録によれば、当時、大地震・伝染病・飢饉などが発生したために餓死する人々を救い鎮めるため、京都・熊野・伊勢詣りに出立した。

しかし、旅の途中で伝染病を患い帰幽したという。そのため、長期にわたり無住となったとする。

また、戸田長五郎定隆が大衡村楳田地区にあった寺を現在の曹洞宗昌源寺の地に再興するよう三明院昌元に命じられ、八幡神社の跡地に昌源寺を建立したとも伝わる。

主祭神は、誉田別尊(八幡大菩薩)・天之御中主神(妙見菩薩)・白山比咩大神(白山権現)、天照大御神

明治2年12月、明治政府外事局御役所に、第12代本山流修験三明院元歓の真名子三明院元詠が神職に願上届けをし、櫻木元諄と名を改め、初代の神主となった。

明治6年(1873年)3月、大瓜の大瓜八幡神社と同じく村社に列し、明治11年に大衡村と大瓜村の連合村が発足した。

さらに明治17年に、駒場村・大森村・大瓜村・奥田村の連合村が成立した時より、連合村の村社に列した。

明治41年12月21日に、旧大衡村の九社が合祀され、現在に至っている。

合祀されたのは現在の相殿神で、応神天皇・天照大御神2柱・宇迦之御魂神3柱・猿田彦神伊邪那岐命伊邪那美命武甕槌神熊野久須毘命素盞鳴尊

例祭は9月14日で秋季例大祭、子供神輿渡御がある。4月14日に春季例大祭がある。1月1日の元旦には願い花火打上奉納がある。

境内には、社殿として本殿・拝殿が、別宮として金谷神明社が、湧水所や御神木のイチョウがある。

【ご利益】
開運招福、交通安全、子宝・子育て、家内安全(公式HP
大衡八幡神社 - 秀吉の奥州仕置で塩浪館が落城し現在地に遷座、元旦に願い花火打上奉納
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大衡八幡神社の御朱印