相馬氏の崇敬も、江戸初期に衰微、江戸後期に式内社に比定
高座神社(福島県南相馬市原町区押釜)
[住所]福島県南相馬市原町区押釜
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高座神社(たかくらじんじゃ)は、福島県南相馬市原町区押釜にある神社。御朱印の有無は不明。

『延喜式神名帳』にある「高座神社(陸奥国・行方郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では郷社。

創建は不詳。往古は現在地の西の高倉村(現 原町区高倉)に鎮座し、社地も広大で境内社も多かったと伝わる。

御祭神は、伊志許理度売命を祀る。相馬藩の歴史書『奥相志』によれば、伊弉冊尊熊野高倉下命武甕槌神を祀るという。

異説として、伊弉冊尊・泉守道者(よもつちもりびと)、菊理姫神を祀り、白山三所権現と称したという。御神体の長さは「五寸」であるという。

押釜地区・馬場地区・大木戸地区の境界である原町区馬場赤柴付近に旧蹟が残っており、おそらくは戦火や兵乱によって社地は荒廃、再建するも小社になってしまったと考えられている。

平安時代の大同元年(806年)4月20日に社殿を造営し、室町時代の文安年間(1444年-1449年)に領主相馬氏から神田1環18文の寄進を受けた。

江戸時代になり、その初期の慶長7年(1602年)、陸奥相馬氏16代当主相馬義胤が改易になり、寄進を受けた神田が失われた。

社域内の樹木も伐採され田畑にされたが、元文年間(1736年-1741年)にはその地も荒廃したという。

それより前、遠藤八郎左衛門という者が村に住み、往古の社地の北端に神祠を設けて守り神にした。その子孫が現在地である押釜付近に住んでいたという。

江戸時代中期の安永3年(1774年)に社殿が再建され、その頃の棟札が残っている。寛政11年(1799年)に野火があり社殿が燃失した。

この時、藩主から境内の杉の木を数百本売って得た金11両2分を賜り、失われた社殿を再興した。

江戸時代後期の文化12年(1815年)、陸奥相馬中村藩11代藩主相馬益胤の命による調査で、当社が行方郡の式内社「高座神社」であると比定された。

同年、歴史ある神社ということで1石の田が社領として貸し出された。

例祭は4月20日。拝殿・幣殿・本殿の社殿は、押釜地区を流れる川のそばの丘陵地に鎮座している。本殿は木羽葺流造で、覆屋の中にある。

【ご利益】
五穀豊穣、家内安全、地域安全
高座神社(南相馬市) - 相馬氏の崇敬も、江戸初期に衰微、江戸後期に式内社に比定
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