宮城遂倉山、白い崖・屏風岩の下に神殿、坂上田村麻呂お手植えの老杉
石神山精神社(宮城県黒川郡大和町吉田字麓71)
[住所]宮城県黒川郡大和町吉田字麓71
[電話]022-345-0026

石神山精神社(いわかみやまずみじんじゃ)は、宮城県黒川郡大和町吉田にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

『延喜式神名帳』にある「石神山精神社(陸奥国・黒川郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。

社名の示す通り、巨大な岩石に御神霊の存在を認めて祀った、古い信仰の姿を伝えた神社である。神殿は、高さ10丈あまりと言われる白い崖、屏風岩の下に建つ。

麓部落西側の七ツ森の一つ、標高308メートルの遂倉山の山陵が吉田川に張り出した小山の中腹に鎮座する。

創祀年代は不詳。御祭神は、大山祗神大歳神大国主神事代主神保食神、そして釜神として、奥津彦神奥津姫神

社殿前に坂上田村麻呂の御手植えと伝わる、周囲7メートル、樹齢1000年以上のスギの大木があり、田村麻呂が勧請して当社を創建したという説もある。

往古は「此地を去ること数町なる石神澤」に鎮座していたとの伝承があるが、この石神澤は不詳。遂倉山が当社の奥宮であるとの伝えがあるという。

式内社「石神山精神社」は、平安時代直前の延暦9年(790年)11月、『続日本紀』にすでに大和朝廷の信仰厚く奉幣が行われた様子がうかがえる。

仁寿2年(852年)8月には従五位下に進む。なお、式内社「石神山精神社」の論社は他に、黒川郡富谷町の鹿島天足別神社がある。

江戸時代、当社は「石上大明神」「岩上大明神」と称しており、また、館神社とも呼ばれた。別当は医王山妙覚院。

明治5年(1872年)1月に村社に列し、現社号に改称、明治40年(1907年)3月には神饌幣帛料供進社に指定された。

明治42年(1909年)5月27日、高田村字要害の運難神社・吉田村字山神の山神社を合祀した。

例祭は春祭が4月15日、秋祭が旧暦9月9日。境内社に、蔵王権現社・山神社・運難神社・八坂神社がある。

【ご利益】
身体壮健、健康長寿、五穀豊穣・商売繁盛、無病息災
石神山精神社 - 宮城遂倉山、白い崖・屏風岩の下に神殿、坂上田村麻呂お手植えの老杉
【関連記事】
宮城県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、宮城県に鎮座している神社の一覧
石神山精神社の御朱印