縄文時代の祭祀遺跡も残る、歴代武将に崇敬された奥州一の宮
荒雄川神社(宮城県大崎市岩出山池月上宮宮下11)
[住所]宮城県大崎市岩出山池月上宮宮下11
[電話]0229-78-2069

荒雄川神社(あらおがわじんじゃ)は、宮城県大崎市岩出山池月にある神社。『延喜式神名帳』にある「荒雄河神社(陸奥国・玉造郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では郷社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

奈良時代の養老4年(720年)に創建された。標高984メートルの荒雄岳の里宮。主祭神は、須佐雄尊と瀬織津姫尊である。大物忌神とも。

荒雄川の清浄な水の流れを司る神として、瀬織津姫尊と大物忌神は同神ともいう。一般に大物忌神といえば、鳥海山大物忌神社の御祭神を指す場合が多い。

鳴子温泉郷の鬼首温泉に鎮座する同名神社と対になっており、当社は「里宮(里の宮)」、鬼首温泉の神社は「嶽宮(奥の宮・奥宮)」と呼ばれた。

当社地は古くからの聖地で、境内には縄文時代の祭祀遺跡とされる「荒雄川神社遺跡」があり、周辺にも縄文土器や石器などが発掘されている。

国司の参向は多くは当社で行なわれ、神宮寺も併設されていたという。

前九年の役(1051年)が起こると、陸奥守鎮守府将軍である源頼義は、安倍一族征討祈願のために大谷孝任を派遣して、黄金10枚と黄金造の太刀一振りを奉納している。

後三年の役の戦中である応徳3年(1086年)には、源義家も戦勝祈願をしたと伝わる。

嘉応2年(1170年)に藤原秀衡が鎮守府将軍に任命されると、当社は「奥州一の宮」と定められた。

室町時代になり、奥州探題大崎氏が大崎五郡(志田郡・玉造郡・栗原郡・加美郡・遠田郡)を領有すると、「大崎郡一の宮」として篤く崇敬され、社領30貫文の寄進を受けた。

江戸時代には伊達政宗が岩出山在城の際に本社を郡内総鎮守とし、神領を献じ、岩出山伊達家の氏神となった。

なお、陸奥国一宮は、福島県東白川郡棚倉町馬場の都都古和気神社、同じく棚倉町八槻の都都古別神社、福島県石川郡石川町の石都々古和気神社とされる。

寛保3年(1743年)、幕命により、江合川(荒雄川)流域の三十六所明神を合祀したため、別名「三十六所明神」「三十六社様」とも称される。

明治5年(1872年)に郷社に列し、明治41年(1908年)8月には六社を合祀、明治44年(1911年)5月には供進社に指定された。

現在は、大国主神言代主神・大山祇神・軻遇突智神倉稻魂神武甕槌神経津主神を配祀している。例祭は8月6日。

境内社に、山神社(木花咲姫。子授け・安産祈願の神)・天神社(菅原道真。合格祈願の神)・水分社(水分神)がある。

境内には、カエルの石祠があり、カエルに形の似た石を祀る。その他、参道入口に畜魂碑・安産子授け様の石像、境内に神楽殿・神輿社・授与所がある。

【ご利益】
厄災除け、子授け・安産、学業・受験合格、旅行安全
荒雄川神社(岩出山) - 縄文時代の祭祀遺跡も残る、歴代武将に崇敬された奥州一の宮
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