東北地方最古の八幡宮、7月に鎌倉期以来、ギネス認定された「大太鼓祭」
[住所]秋田県北秋田市綴子西館46
[電話]0186-62-0471

綴子神社(つづれこじんじゃ)は、秋田県北秋田市綴子にある神社。近代社格では村社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

社伝によれば、飛鳥時代の第37代斉明天皇5年(659年)、朝廷の命令を受けた阿倍比羅夫将軍が蝦夷を治めるため肉入籠に至った。

その際、戦勝祈願と北秋田地方の鎮護として、九州豊前国宇佐神宮より八幡大神を勧請し、地主神と併せ祀ったのが創建とされる。

主祭神は八幡山大神。東北地方最古の八幡宮とされる。鎮座地の綴子の地名は『日本書紀』に記される肉入籠が訛ったものと伝えられる。

古くから宇佐八幡宮・八幡宮と呼ばれ、境内の御神木である「千年桂」は永く祀られ、特に子授け・安産・子育て・縁結びのご利益があるという。

鎌倉時代の弘長2年(1262年)以前、当社社家の初代である常覚院元瑞道亨が、甲斐源氏浅利氏とともに近江国から派遣され、当社を再興した。

この時、現在の「大太鼓祭」につながる各種行事が伝わったとされる。

また、田代岳の田代山神社、七座山の七座神社の遥拝所としての機能も古くから持ち、時の武将・鎮将の八幡信仰の高まりとあわせて信仰された。

戦国時代の永禄2年(1559年)、7家7集落が合併し、再建、以後浅利氏、その後の佐竹氏により社領の寄進があった。

江戸時代になり、元和元年(1624年)に神殿を建立、慶安元年(1648年)には内館塾が開設され、享保15年(1730年)に藩主の公許を得た。

江戸中期の宝暦7年(1756年)、現在の拝殿が再建され、明和9年(1772年)には神楽殿が建立され、安永8年(1779年)、北比内28ヶ村87社の総社となった。

文化元年(1804年)、内館塾の本館が再建され、文化8年(1812年)には津軽越中守が本陣を置いた。

明治元年(1868年)の戊辰戦争でも本陣が置かれ、その功により藩主褒状・紋付燈籠・五本骨日の丸扇紋付裃を拝領した。

明治6年(1873年)9月に村社に列し、社名を八幡神社と定め、明治14年(1881年)9月12日には明治天皇御巡幸仮行在所となった。

明治43年(1910年)8月、無格社15社を合併し、現社号に改称。平成21年(2009年)には鎮座1350年式年大祭奉祝事業が斎行された。

現在までに、伊邪那岐命伊邪那美命天照皇大神須佐男命少彦名神火産霊神水波能売神大山祇神豊受比売神厳島姫神・鴨若雷神・日本武尊神功皇后・崇徳天皇・三吉霊神猿田彦神を合祀する。

例祭は7月15日。宵宮の前日14日とあわせて、通称「大太鼓祭」で、鎌倉時代の弘長年間(1261年-1264年)以来の伝統行事。

上町と下町のふたつの集落が徳川(上町)、豊臣方(下町)にわかれ一年交代で大太鼓を奉納し、虫追いや雨乞い、五穀豊穣を祈願する。

集落内を数基の大太鼓を打ち鳴らしながら行進する様は圧巻で、境内で披露される獅子踊りや奴舞いも見所。

平成元年(1989年)にギネスブックに登録された大太鼓は直径3.71メートル、現在一番大きな太鼓は直径3.8メートル。

境内には、本社の八幡大神の母である神功皇后(唐松様)と稲荷神を併せ祀る文玉神社、庚申塚などがある。

旧綴子村開村に力を尽くした奈良田喜左衛門と、高橋宇吉郎の記念碑が参道に立つ。

【ご利益】
必勝の神、武運長久・勝運、子授け・安産・子育て・縁結び(公式HP
綴子神社
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