仙台藩主に崇敬された黒河郡総鎮守、12月に島田飴まつり
[住所]宮城県黒川郡大和町吉岡字町裏39
[電話]022-345-6427
八幡神社(はちまんじんじゃ)は、宮城県黒川郡大和町吉岡にある神社。近代社格では村社。吉岡八幡神社とも。主祭神は応神天皇。参拝すれば、御朱印を頂ける。
もとは陸奥国信夫郡(現 福島県福島市飯坂町)にあり、伊達氏の一族である飯塚氏の氏神だった。
飯塚氏を継いだ伊達宗清に伴って陸奥国宮城郡(現 宮城県仙台市泉区松森)に遷宮した。
宗清が元和2年(1616年)に吉岡城に移ったのに伴い、城下町であり、かつ、奥州街道や出羽仙台街道などの宿場でもある吉岡宿の現在地に元和4年(1618年)に遷宮した。
黒川郡総鎮守として崇敬され、明和元年(1764年)には随神門が建立され、明和2年(1765年)には石の狛犬2基が本村商人25人により奉献された。
宝暦7年(1757年)に移封された但木氏の崇敬が篤く、文化11年(1814年)5月1日に石の鳥居が寄進された。
文化14年(1817)3月、仙台藩10代藩主伊達斉宗が「黒川鎮守八幡宮」の自筆の額を奉納、また祭祀料を供進した。
嘉永年間(1848年-1855年)には13代藩主伊達慶邦が旗一旈を納めた。
明治5年(1882年)に村社に列した。
宝永7年(1710年)造営の石の間造の社殿は、昭和28年(1953年)に宮城県重要文化財となったが、昭和62年(1987年)8月13日の落雷により焼失した。
随神門も昭和39年(1964年)8月6日に損傷。
例祭は、春季が4月15日、夏季が7月31日、秋季が9月第3日曜日、冬季が12月14日。
このうち、夏の夏越大祓輪くぐり、秋の流鏑馬、冬の島田飴まつりが有名。
冬季例祭で行われる島田飴まつりは、400年以上続く縁結びの神事であり、まつりの名称となっている島田飴は当日のみ販売される。
なお、黒川郡大和町には落合三ヶ内・落合桧和田・鶴巣下草・鶴巣鳥屋に同名の神社がある。
【ご利益】
厄災除け、縁結び、身体壮健、病魔退散
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八幡神社(はちまんじんじゃ)は、宮城県黒川郡大和町吉岡にある神社。近代社格では村社。吉岡八幡神社とも。主祭神は応神天皇。参拝すれば、御朱印を頂ける。
もとは陸奥国信夫郡(現 福島県福島市飯坂町)にあり、伊達氏の一族である飯塚氏の氏神だった。
飯塚氏を継いだ伊達宗清に伴って陸奥国宮城郡(現 宮城県仙台市泉区松森)に遷宮した。
宗清が元和2年(1616年)に吉岡城に移ったのに伴い、城下町であり、かつ、奥州街道や出羽仙台街道などの宿場でもある吉岡宿の現在地に元和4年(1618年)に遷宮した。
黒川郡総鎮守として崇敬され、明和元年(1764年)には随神門が建立され、明和2年(1765年)には石の狛犬2基が本村商人25人により奉献された。
宝暦7年(1757年)に移封された但木氏の崇敬が篤く、文化11年(1814年)5月1日に石の鳥居が寄進された。
文化14年(1817)3月、仙台藩10代藩主伊達斉宗が「黒川鎮守八幡宮」の自筆の額を奉納、また祭祀料を供進した。
嘉永年間(1848年-1855年)には13代藩主伊達慶邦が旗一旈を納めた。
明治5年(1882年)に村社に列した。
宝永7年(1710年)造営の石の間造の社殿は、昭和28年(1953年)に宮城県重要文化財となったが、昭和62年(1987年)8月13日の落雷により焼失した。
随神門も昭和39年(1964年)8月6日に損傷。
例祭は、春季が4月15日、夏季が7月31日、秋季が9月第3日曜日、冬季が12月14日。
このうち、夏の夏越大祓輪くぐり、秋の流鏑馬、冬の島田飴まつりが有名。
冬季例祭で行われる島田飴まつりは、400年以上続く縁結びの神事であり、まつりの名称となっている島田飴は当日のみ販売される。
なお、黒川郡大和町には落合三ヶ内・落合桧和田・鶴巣下草・鶴巣鳥屋に同名の神社がある。
【ご利益】
厄災除け、縁結び、身体壮健、病魔退散
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