蔵王権現、安倍氏・奥州藤原氏・伊達氏などの崇敬
[住所]宮城県刈田郡蔵王町遠刈田温泉仲町1
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刈田嶺神社(かったみねじんじゃ)は、宮城県刈田郡蔵王町遠刈田温泉に里宮が、七ヶ宿町に属する、標高1758メートルの蔵王・刈田岳の山頂に奥宮がある神社。近代社格では郷社。参拝すれば、里宮と奥宮の御朱印を頂ける。

当地の伝説では、当初は第2代綏靖天皇を祀っていたという。

その後、白鳳8年(679年)に、役小角が大和国の吉野山から蔵王権現を現在の不忘山に奉還し、周辺の奥羽山脈を含めて修験道の修行の場として「蔵王山」と呼んだ。

当社はいつしか「蔵王大権現」と呼ばれるようになった。願行寺が建てられ、「願行寺四十八坊」と呼ばれる修験道の大寺院となった。

平安時代後期の前九年の役(1051年-1062年)の頃になると、安倍氏が当社を氏神として崇敬し、神殿の改築したという。

平安時代末期(12世紀末)には奥州藤原氏の庇護も受けたが、奥州藤原氏が滅亡すると衰退が始まり、戦国時代末期には3坊まで減少した。

戦国時代には、当地は出羽国に本拠を置く勢力の下に入り、当社は甘糟氏が管理したとされる。

当地が伊達氏の勢力下に入ると、当社を守護神と見なして片倉小十郎に管理させ、伊勢の神宮(伊勢神宮)にならって、21年ごとの改築(遷宮)を始めた。

伊達政宗が仙台藩をたてると、仙台城の鬼門(北東)除けを金華山(黄金山神社)、病門(南西)除けを当社と見なして重要視するようになる。

江戸時代後期になると、お蔭参りに代表されるような庶民の旅行が盛んになり、「蔵王大権現社」と呼ばれた当社への参詣もにぎわった。

山頂へ冬季に積雪のために参詣できない不便を解消するため、冬季に麓の嶽之坊にある「蔵王大権現御旅宮」に季節遷座をするようになり、現在も行われている。

明治維新で神仏分離が行われると、主祭神を天之水分神国之水分神として、明治5年(1872年)4月に水分神社と改称。

明治8年(1875年)には現社号に改称して、郷社に列した。

季節遷座について、「里宮」から「奥宮」への遷座は、刈田岳山頂に車で至る道路の蔵王エコーラインおよび蔵王ハイラインの開通に合わせて行われる。

例年、両道路は4月下旬頃に開通。毎年、遷座が行われる前には仙台市の大崎八幡宮が「雪かき奉仕」を行う。

一方、「奥宮」から「里宮」への遷座は、秋の彼岸が終わった後、10月第1日曜日に「御神体下山式」として執り行われる。

なお、青麻山の東麓に同名の神社がある。

【ご利益】
身体壮健、健康長寿、病気平癒
刈田嶺神社(蔵王町遠刈田温泉) - 蔵王権現、安倍氏・奥州藤原氏・伊達氏などの崇敬
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刈田嶺神社(蔵王町遠刈田温泉)の御朱印