樹齢800年のアカガシ、巨大な亀石、北畠顕家らに崇敬された式内古社
[住所]宮城県黒川郡富谷町大亀字和合田2-81-2
[電話]022-358-3111

鹿島天足別神社(かしまあまたらしわけじんじゃ)は、宮城県黒川郡富谷町にある神社。『延喜式神名帳』にある「鹿島天足別神社(陸奥国・黒川郡)」に比定される式内社(小社)の論社。

また、当社は式内社「石神山精神社」の論社ともされる。他の論社に、黒川郡大和町に式内社名と同名の神社がある。近代社格では村社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

古くは大亀大明神、岩下明神と称した。大亀神社とも。当社には、大干ばつの際に黒川郡内こぞっての雨乞いがされた。

アカガシは高さ約20メートル、幹周約5.8メートルの巨木で、樹齢800年以上。町指定、次いで県指定の天然記念物となった。

社殿の東側にある亀石は、当社別名ともなった巨大な岩で、縦3.8メートル、横1.9メートル。地名の「大亀」の由来で、町の史跡に指定されている。

創建は不詳。常陸国の鹿島の神・武甕槌命、下総国の香取の神・経津主命を祀る。

『日本三代実録』記載の「陸奥国に鎮座する鹿島大神苗裔を祀る三十八の神社」の中に黒河郡一とあるが、当社のことか。

平安時代の康和5年(1103年)6月、神事を穢せるにより中祓。南北朝時代には国司北畠顕家により崇敬された。

室町時代の文亀3年(1480年)、丹後遠江守正時奉が造立。黒川安房守氏友からも崇敬され、黒川南迫士郷の鎮護として祭祀が続けられた。

江戸時代後期の弘化5年(1848年)より榊流永代神楽が始められ、今日に継承され、例祭の4月第3日曜日に奉納される。

寛永6年(1853年)7月9日より三日三夜、大肝入はじめ郡内一同が参詣し、13日には降雨があった。御礼として本社屋根の葺き替えを奉仕した。

元治元年(1864年)5月23日、大肝入や組頭、大亀村肝入や同村組頭ほか、各村より参詣。24日に降雨があり、その御礼として拝殿を建立した。

明治5年(1872年)1月に村社に列したが、明治37年(1904年)10月5日、灯明から出火して全焼。

明治38年(1905年)5月27日に現在の社殿が新築され、明治40年(1907年)3月、幣帛供進社に指定された。

明治42年(1909年)に7社を合祀。この中の一つ、吹上社が、式内社「鹿島天足別神社」の論社ともされる。

平成23年(2011年)3月11日に東日本大震災で被災し、石鳥居が損壊し、本殿の土台が崩れ、御神石の亀石も斜めに傾いた。

社殿裏に「伊手の玉水」と称する池があり、「はもしま」とも呼ばれる。

なお、旧曰理郡、現在の亘理郡亘理町逢隈鹿島には当社と同音異字の神社があり、やはり式内社。

【ご利益】
雨乞い、天候祈願
鹿島天足別神社 - 樹齢800年のアカガシ、巨大な亀石、北畠顕家らに崇敬された式内古社
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