南の愛宕山、伊達政宗らも崇敬した火防鎮護・辰巳歳生一代守護
[住所]宮城県仙台市太白区向山4-17-1
[電話]022-223-6096

愛宕神社(あたごじんじゃ)は、宮城県仙台市太白区向山にある神社。火防鎮護、辰巳歳生一代守護のご利益で知られる。近代社格では村社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

仙臺総鎮守を称す。仙台市都心部からみて南、広瀬川を隔てる標高75メートルの愛宕山の頂上に鎮座する。山の名は当社にちなむ。

戦国時代には伊達氏の本拠だった米沢にあったが、米沢での創建は不詳。主祭神は火の神である軻遇土神

伊達政宗の転封に従って岩出山に移転。続いて慶長5年(1600年)に政宗が本拠を移すことを決めると、今度は仙台に移転することになった。

まず慶長8年(1603年)に荒牧村(荒巻村)に仮遷座し、同年中の社殿完成をまって当時の城下町の北東、現在の宮城県庁舎付近にある元寺小路に移った。

別当寺としては米沢の頃から誓願寺が置かれ、神社と移転をともにした。

慶安3年(1650年)に陸奥仙台藩2代伊達忠宗が愛宕山に新しく社殿を建て、誓願寺とともにここに移した。

同じ年に虚空蔵堂も経ヶ峯から愛宕山に移ってきた。当社には、神領として5貫720文が与えられ、正徳5年(1715年)に伊達吉村が祭田30石を加えた。

当社には慶長8年(1603年)の伊達政宗による造立、慶安3年(1650年)の伊達忠宗による造立、元禄7年(1694年)の4代藩主伊達綱村による修復を記す計3枚の棟札がある。

現存する本殿・社殿の建築技法は元禄年のものとみられる。

現存する大絵馬「源頼政鵺退治図」と「牛若丸剣道修行図」は、享保9年(1724年)11月24日に5代藩主伊達吉村が奉納したものと推定される。市指定有形民俗文化財。

年代が明らかな江戸時代の大絵馬には他に、天保14年(1843年)の「柔術免許皆伝図」、慶応4年(1868年)の「猪乗り烏天狗図」がある。

烏天狗の絵馬は、伊達氏の武将片倉重長が大坂の役で戦功を立てたときに烏天狗を夢に見たことにより、片倉氏の子孫が奉納したものだという。

江戸時代は普賢菩薩を本尊として併せ祀り、辰巳歳生一代守護とは、八大菩薩を十二支に割り当ててその年の生まれの人を守護するという守本尊の信仰に基づく。

明治時代に誓願寺は廃寺となり、当社は村社に列す。神社合祀政策によって近隣と仙台市内のいくつかの神社を合祀したが、一部は後に復した。

現在は他に、天照大神豊受大神大物主神大山咋神大国主神・速玉男神・伊邪那岐神伊邪那美神、他4神を祭る。

もとはこけら葺で本殿だったが、昭和27年(1952年)に桟瓦葺に改めた。昭和45年(1970年)に拝殿の後ろに幣殿を接続した。

本殿の腐朽が著しくなってきたため、平成12年(2000年)から、半解体修理が実施された。これには市も補助した。本殿・拝殿は棟札3枚とともに、市指定有形文化財。

例祭は7月24日。もともとは旧暦6月24日。昭和に入り改められた。政宗による慶長年の社殿造営以来の伝統を誇る祭典。

前日23日には、神輿渡御が行われる。現在は子供神輿も行われる。境内には所狭ましと出店が並ぴ、夏の夜空には奉納花火の打上げ、様々な神賑行事が奉納される。

境内社に、愛宕天満宮・勝閧神社・産霊神社・稲荷神社がある。箱石神社・宮城野八幡神社・穴蔵神社・信夫神社を兼務する。

拝殿脇の老杉は樹齢約500年で、夫婦杉と呼ばれる。そのほか境内には、ヒノキ・ヒバなどが植栽され、また紅葉が昭和初年、仙台花柳界により奉納された。

【ご利益】
火防鎮護、辰巳歳生一代守護(公式HP
愛宕神社(仙台市) - 南の愛宕山、伊達政宗らも崇敬した火防鎮護・辰巳歳生一代守護
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