飛鳥期に伊勢鈴鹿から相模座間に神輿が漂着、有鹿神と闘争、献幣使参向社
[住所]神奈川県座間市入谷1-3500
[電話]046-256-1122

鈴鹿明神社(すずかみょうじんしゃ)は、神奈川県座間市入谷にある神社。御祭神は、伊邪那岐命素戔鳴尊。近代社格では郷社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

飛鳥時代の第29代欽明天皇の御代に創祀と伝わる。伝説によると、伊勢国の鈴鹿郷の神社例祭に神輿が海上を渡御した折、にわかの暴風に襲われ、漂流して相模国入海の東峯に漂着した。

里人が社を創立してこれを鎮守とし、鈴鹿大明神と崇め奉ったと伝えられている。

また天平年間(729年-749年)にこの地は鈴鹿王の所領で土甘郷と言ったことから、当時の人が王の御名を冠して鈴鹿の字名が発祥したとも推察されている。

欽明天皇の御代、渡来した当社の神である鈴鹿神は、財宝を持ち豊かに暮らしていた。一方、その頃相模国勝坂にいた有鹿神はこの財宝を横取りしようと当地にやってきた。

両者争いになったが、諏訪明神と弁財天の加勢で鈴鹿神が勝利し、有鹿神は上郷へ追い払われた。それ以来、有鹿神は勝坂へ帰ることができなくなったという。

以上のように、当社と有鹿神社が何らかの理由で争った伝承が今に残る。海老名周辺の有鹿信仰の人々と座間郷の鈴鹿信仰の人々の水を巡る争いともされる。勝坂には有鹿神社の元宮とされる神社がある。

往古、東南西方は平坦な水田で、その中央一丈余りの高所に、はるばる大洋を望むかの如く鎮座していたという。

境内は船の形をし、数十の樫の古木が繁茂し、参道中央に銀杏の大木があって、さながら船の帆の様であったという。

その遠景を人は「舟形の森」「樫の森」と呼んで親しんだが、今はその銀杏もなく、地形も変動して面影はない。

しかし神社の地形が前方後円墳にも似るところから、昭和39年(1964年)に社殿の東側草地を発掘したところ、1500年前の地下式住居跡が発見された。

また、境内の樫の古木は最大のもので樹齢900年といわれ、市の原始林の一部であるところから、古代の祭祀遺跡が埋蔵されている可能性も指摘されている。

弘治2年(1556年)に再建、この際、京都祇園の八坂神社の御分霊を勧請して合祀したという。他にも、近世を通じて、大量の棟札が現存している。

明治2年(1869年)12月、県下二十大区、二十七ヶ村の郷社に列した。昭和43年(1968年)1月には神奈川県神社庁献幣使参向神社となった。

例祭は8月1日。献弊使を迎えて幣帛料を供え、朝11時から夜9時まで神輿が氏子区域内を巡幸する。2月17日が春祭で祈年祭。2月3日には節分祭がある。

【ご利益】
厄災除け、安産、家内安全、開運招福、交通安全(公式HP
鈴鹿明神社 - 飛鳥期に伊勢鈴鹿から相模座間に神輿が漂着、有鹿神と闘争、献幣使参向社
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